アルバロ・アルベロア
レアル・マドリード(フベニール):2022-現在
試合に向かう選手は勝つとか、相手を上回るとか、そんなことを考えていません。彼らは夢を叶えるためにピッチに立つのです。「レアル・マドリードのトップチームでプレーする」という夢を。
私がレアル・マドリードの『カンテラ』(育成部門)に加わったのは2001年、18歳の時(アルベロアは 1983年1月17日生まれ) 。『フベニールA』(U-19)、私が今、監督をしているカテゴリーの一員になりました。当時の経験が新しい物語における私の助けになっています。
もう過去には戻れません。
今の私ができる唯一のことは、彼らを成長させることだけ。私の経験を伝え、そこから彼らが学び、これから訪れる試練を乗り越えていってほしいと強く願っています。
今も、そして未来も。
私にとって最も困難なチャレンジの一つとなったものはイングランドでのプレーでした。
リバプールでのファースト・ゲームを生涯忘れないでしょう。
2007年の冬、移籍マーケットの閉じる寸前にサイン。デポルティボ・ラ・コルーニャ(2006-07シーズンに加入)から移り、最初の試合はニューカッスル戦とのアウェーゲーム(2月10日)でした。
「ラファエル・ベニテスは試合に対するアプローチが優れていただけでなく、日々のアプローチにも優れていました。選手への伝え方、求めていることをはっきりと伝える能力は秀逸でした」
周囲には、少なくとも私より10キロは体重の重い巨漢選手ばかりでした。すぐに、プレミアリーグで求められるプレーはそれまでのものとはまったく異なると悟りました。
試合開始直後から、自分の印象が正しいことを証明する出来事が次々と発生。プレミアリーグそのものに適応しなければ、ピッチに立てないと覚悟しました。
ラファエル・ベニテス監督(2004-10シーズンに指揮)は私がプレミアリーグに慣れるために非常に重要なサポートを提供してくれました。ラファはとても理論的であり、細部にこだわる監督。そしていつも「次の試合」を見据えて選手を導いてくれました。
ラファは戦略家でもありました。対戦相手に合わせた明確なゲームプランを常に持ち、毎週の試合でプランを実行。そして彼は相手の弱点を突くことが得意でした。彼のプランを実現するために『メルウッド』(かつてのリバプールの練習場)でのトレーニングを費やしていました。
「周囲には、少なくとも私より10キロは体重の重い巨漢選手ばかりでした。すぐに、プレミアリーグで求められるプレーはそれまでのものとはまったく異なると悟りました」
彼が監督として成功したのは当然でした。試合に対するアプローチが優れていただけでなく、日々のアプローチにも優れていたからです。選手への伝え方、求めていることをはっきりと伝える能力は秀逸でした。
ラファがいたからこそ、すべきこと、そしてどのように試合に立ち向かうべきかを選手は理解できたのです。
リバプールには『アンフィールド・マジック』があります。クラブには偉大な選手や偉大な監督が在籍していましたが、ある意味、リバプールの歴史を支えてきたのはアンフィールド(リバプールのホームスタジアム)だと思います。特にUEFAチャンピオンズリーグなど、ヨーロッパ・レベルの試合ではアンフィールドの凄さをより強く感じることになります。
チャンピオンズリーグの試合をいくつも経験しましたが、チェルシーFCとのスリリングなゲームはとりわけ強く印象に残っています。私の心に一生残るでしょう。スタジアムの雰囲気、インテンシティー、エモーションといった点も良かったのですが、何より両チームのレベルが高かった。
「イングランドが自分をより良い選手にしてくれたか?」
もちろん、疑いなくそう思っています。
「ペジェグリーニは、サイドバックがタッチラインに張りついてプレーすることを好みませんでした」
リバプールで私はとても幸せでしたし、居心地も最高でした。しかし、2009-10シーズンの前、レアル・マドリードへ復帰することになります(2004-05シーズンにトップデビューしていた)。「家」に帰るチャンスでした。
その夏、レアル・マドリードは陣容を大幅に変更しました。クリスティアーノ・ロナウド、カカ、カリム・ベンゼマ、リバプールから私と一緒に移籍したシャビ・アロンソ、ラウール・アルビオル、エステバン・グラネロといった錚々たるメンバーが新たに加入。しかも、セルヒオ・ラモス、ラウール・ゴンサレス、イケル・カシージャスなど、偉大な選手たちも健在でした。
疑いなく、他のクラブにはマネできないような陣容のチーム。率いるのはマヌエル・ペジェグリーニ監督(2009-10シーズンに指揮)でした。
ペジェクリーニが行なうトレーニングはとても楽しかった。ペジェグリーニは、サイドバックがタッチラインに張りついてプレーすることを好みませんでした(アルベロアはサイドバックとして活躍)。サイドバックが中央に入り、空いたスペースを他の選手が活用することを望んでいました。
「リバプールで私はとても幸せでしたし、居心地も最高でした。しかし、2009-10シーズンの前、レアル・マドリードへ移籍することになります。『家』に帰るチャンスでした」
当時のチームで大切にされていたのは、サイドバックがサイドのスペースを占拠しないことだけでなく、いろいろな選手がいろいろなスペースに出入りすること。サイドバックだけでなく、中央でプレーする選手も同じプレーを求められていました。
彼は、タッチ制限のあるトレーニングを好み、我々はよく、2タッチの練習に取り組みました。彼は、スピードとモビリティーをチームに求めていました。だから、タッチ制限に強いこだわりを見せたのでしょう。
残念ながらタイトルを獲得することはできませんでしたが、リーグ戦で積み上げた勝ち点は96。とんでもない数字です(当時のクラブ記録)。しかし、FCバルセロナ(勝ち点99)を上回ることはできませんでした。
期待には応えられませんでしたが、マヌエルとの日々はとても楽しかった。彼からはたくさんのことを学びました。私にとって最高の監督の1人です。
私にとっては、ジョゼ・モウリーニョも最高の監督です(2010-13シーズンに指揮)。ジョゼには素晴らしい部分がたくさんありますが、あえて一つ挙げるならば、グループのマネジメント能力が秀でていました。チームを導くリーダーシップと言ってもいいでしょう。
「モウリーニョは常に得点を狙い、試合中になるべく多くの決定機を作り出そうとしていました」
私は、彼からのメッセージを早い段階で理解できていたと思います。
彼が掲げていたのは「日々、すべて出し尽くし、良い見本となること」、そして「トレーニングで100パーセントを出し尽くした選手だけが試合でプレーする」ということ。ビッグネームかどうかは関係ありませんでした。
私にとってはとても納得できる評価方法や価値観でしたし、理想的なものでした。
当然ながら、彼は戦術的な準備もパーフェクト。すべてのトレーニングが彼のプレー・モデルに基づいていました。ジョゼは縦に速いフットボールが大好きでした。
意外かもしれませんが、モウリーニョは常に得点を狙い、試合中になるべく多くの決定機を作り出そうとしていました。ただし、堅実なチームであること、それは彼の揺るぎない信念。我々はとてもコンパクトにプレーし、ほとんど失点しないチームでした。
「ジョゼ・モウリーニョには素晴らしい部分がたくさんありますが、あえて一つ挙げるならば、グループのマネジメント能力が秀でていました」
監督になった私が、試合において監督に与えられた最大の仕事は何かと聞かれれば、「得点チャンスをたくさん作ること」と答えます。試合中のチャンス数を最大化し、ピンチの数を最小化するのです。率いるチームの決定機がとても多く、相手の決定機が少なければ、それは監督がいい仕事をしている証になります。
それを体現したのがモウリーニョのチームでした。
FCバルセロナとの『クラシコ』ではモウリーニョの持ち味が存分に発揮されたと思います。FCバルセロナ戦に関しては、周囲が騒ぎ立てたこともあり、必要以上にいろいろなことを言われましたが……。それでも我々は、ペップ・グラルティオラ率いる強力なFCバルセロナに対し、戦術的なレベルで素早く適応し、素晴らしい試合をしたと考えています。
モウリーニョが初めて指揮したFCバルセロナとの試合(2010年11月29日)で我々は0-5の大敗を喫しました。しかしその後は、試行錯誤しながら接戦に持ち込み、さらには勝てるようにもなりました。我々が成長したからです(2011年4月21日のコパ・デル・レイ決勝では延長戦の末に2-1)
2011-12シーズン、我々はリーグで勝ち点100をマークして優勝(2位のFCバルセロナは勝ち点91)。レアル・マドリードは少しずつでも確実に成長したのです。偉大な選手たちを擁し、「非常に特殊なチーム」に適応するために、立ち位置、動き方、組織力を少しずつ改善していったことを覚えています。当時のFCバルセロナはリオネル・メッシ(現在はパリ・サンジェルマン)がボールを保持するとチーム全体が加速するチームでした。
「偉大な才能を持った選手は自由を与えられることで自身のポテンシャルを最大限に引き出せるのです」
ジョゼの後任となったのがカルロ・アンチェロッティ(2013-15シーズンに指揮し、2021-22シーズンに復帰)。カルロはグループのマネジメントや選手との接し方ばかりがクローズアップされている気がします。戦術面に関してもより高い評価を受けるべきです。
優秀なイタリア人指導者であるカルロは、守備のオーガナイズにも非常に精通しています。私は、彼から選手としてとても多くを学び、それが監督になった今も役立っています。
カルロは攻撃に関して2つか3つのパターンをチームに植えつけました。しかし彼は、基本的には選手に自由を与えることを好む監督。偉大な才能を持った選手は自由を与えられることで自身のポテンシャルを最大限に引き出せるのです。彼は、チーム戦術と自由に関するさじ加減が完璧でした。
「1点差や2点差で勝つ、いや3点差で勝ったとしても、それ自体はさして重要ではありません」
フベニールAの監督である私が最も意識しているのは、私が指導を受けてきたすべての監督と同じ。選手の有するポテンシャルを最大限に発揮させることを意識しています。
試合前、必ず選手たち伝えている言葉があります。
「最初の1分から最後の90分まで全力でプレーしなさい」
1点差や2点差で勝つ、いや3点差で勝ったとしても、それ自体はさして重要ではありません。究極的なことを言えば、引き分けでも、負けでも気にする必要はないかもしれません。
大切なのは結果ではなく1秒、1秒、自分に対して高い要求ができること。それができて初めて、レアル・マドリードのトップチームがトレーニングする『シウダード・レアル・マドリード』(練習場)の「第1グラウンド」への道が切り開かれるチャンスを手にできるのです。
翻訳:石川桂