ベブ・プリーストマン
カナダ女子代表(監督):2020-現在
イングランド女子代表のフィル・ネビル監督とはすぐにお互いを理解し合えました。
イングランド女子代表のアシスタントコーチになるための面接で我々はすぐに意気投合できました(プリーストマンは1986年4月29日、イングランド生まれ)。お互いを理解し合い、何年も前からの知り合いのような信じられないほどいい関係になれました。
アシスタントコーチとしてとてもいいチームを作れたと感じています。とても自然な感じですべてのことが進みました。
我々はチームに新しい風をもたらしました。
フィルは、名将アレックス・ファーガソンにちなんだ『ファーギー・ベイブス』(ファーガソンの息子たち)の一人。マンチェスター・ユナイテッドの黄金時代を支えました(1995-2005まで所属)。多くの知識を持ち、素晴らしい監督たちと働いた貴重な経験を持っていました。彼は強度の高いフットボールを目指していましたが、強度の高いトレーニングを選手も好んでいました。
一方、私はよりロジカルで几帳面な性格。バランスのいいコンビだったと思います。
フィルが求めたのはアレックス・ファーガソンがマンチェスター・ユナイテッドで実現した攻撃的なチーム。実際、試合結果を振り返れば分かりますが、5-4で勝つような試合もありました。
しかし私は気がつくと、とても慎重になっていることが多かった。
本来の私はポゼッションを重視する攻撃志向の指導者です。しかしフィルのアシスタントとして働く上ではバランスを大切にしなければなりません。ですから私は主に守備面のコーチングを担当しました。
2018年の8月から一緒に働き始めた我々が挑んだ最初の重要な大会は2019年の2月に始まった『シービリーブスカップ』(開催国は米国)。イングランド、ブラジル、米国、日本の4カ国で覇権を争いました。
「強豪を打倒してシービリーブスカップを制覇した我々はワールドカップで優勝するという確信に近い思いを持っていました」
大会に備えて我々はカタールに遠征し、トレーニングとチーム作りに焦点を当てた合宿を実行。さまざまなアクティビティーを行ない、素晴らしいトレーニングも積めました。ただし、国際親善試合は組まず、チーム内の紅白戦を準備試合としました。
素晴らしい準備ができた結果、チーム内の士気は大きく高まりました。
大会ではブラジルとの初戦に勝利(◯2-1)、次の米国戦は2-2の引き分け。日本との最終戦で勝利(◯3-0)した我々は勝ち点7を手にして初優勝を果たしました(下写真)。
メジャータイトルと呼べるものではないかもしれません。しかし、優勝したことでチーム、そしてサポーターの間には「メジャー大会で大きなことを達成できるかもしれない」という思いが醸成されたのです。
そして4カ月後、我々は女子ワールドカップ2019(開催国はフランス)に挑みます。
強豪を打ち破ってシービリーブスカップを制覇した我々はワールドカップで優勝するという確信に近い思いを持っていました。だからこそ、最も高い目標を掲げたのです。
頂上に向け、我々はプレーの優先順位に関する明確な基準を選手に提示。同時に、レベルの高い選手たちに力を発揮してもらうため、一定の自由を与えるようにもしました。
グループステージは3連勝。拮抗した試合が続きましたが、スコットランド(◯2-1)、アルゼンチン(◯1-0)、日本(◯2-0)という難敵から勝ち点3を勝ち取りました。好調な船出により、トーナメントを勝ち抜けるという確信を強めました。
ベスト16ではカメルーンに勝利(◯3-0)しました。しかし強い違和感を残す試合でした。選手たちはレフェリーの判定に苛立ちを隠せず、ゴタゴタしたからです。しかし勝って次のラウンドに進めたのですから、今さらほじくり返すようなことはやめておきましょう。
「私は、イングランド代表で仕事を始めた時からステップをクリアして代表の監督になるイメージを持っていました」
ノルウェーとの準々決勝では最高のパフォーマンスを発揮することができました。素晴らしい相手に対して完璧と言っていい試合を演じて3-0で勝利。開始3分で得点すると、その後も試合をコントロールし続けました。
我々は意気揚々と準決勝に臨みます。相手はシービリーブスカップで勝っている米国。心から勝利を信じていました。
イングランド女子代表での私は、セットプレーの守備面も担当していました。米国の戦術分析から私がつかんだのは、「ファーサイドから選手がなだれ込み、そこに合わせる」という特徴。ですから、ファーサイドの守備に注力しておきました。
しかしながら、開始10分で得点を許します。セットプレーではありませんでしたが、右からのクロスをファーサイドで待ち構えていた選手に押し込まれたのです。
私はピッチサイドで髪をかきむしっていました。
あれだけ準備してきたのに止められなかった……。
19分に1-1に追いつきました。しかし31分に突き放されると、追いつく力はもう残されていませんでした。
今思えば、シービリーブスカップでの勝利がマイナスに働いたと思わないわけにはいきません。そうではないと信じたいのですが、慢心が存在した可能性は否定できません。
ただし、より大きな過ちがあると考えています。それは私とフィルが、ワールドカップで成果を残していた戦い方を継続せず、前回の対戦でうまくいった戦術を繰り返そうしたことです。
米国戦で痛感したのは、トップレベルの試合では自信と勢いがとても大切だということです。
あるいは、米国に合わせ過ぎてしまったのかもしれません。多分、我々は自分たちで築き上げてきたことを信じて貫くべきだったのでしょう。
勇気と大胆さが不足していたのかもしれませんし、何が正しかったのかは今となっては分かりませんが……。
「私には、イングランドや米国のクラブチームからのオファーもありましたが、魅力を感じたオファーはカナダ女子代表の監督でした」
優勝を本気で狙っていただけに受け入れ難い敗戦でした。選手たちはとても落ち込んでいました。
3位決定戦に向かいましたが、残念ながらスウェーデンに敗れて4位で大会を終えました。
私は、イングランド代表で仕事を始めた時からステップをクリアして代表の監督になるイメージを持っていました。「A代表の監督になる」、これが私の長期的な目標でした。
フィルは私のことを信頼してくれ、アシスタントとしてさまざまなことを彼から学びました。当時の私には監督になる準備がまだできていませんでしたから、アシスタントコーチは完璧なポジション。とても大変な仕事でしたけど、あの経験を通じて私は2倍の速度で成長できました。監督について回るプレッシャーについて学べたのも当時です。
指導者の道に入ったばかりの頃、私の仕事は若い選手たちを成長させ、トップチームに送り込むことでした。選手の成長を優先させる環境だったこともあり、勝敗に対するプレッシャーはさほど感じませんでした。
しかし、イングランド女子代表では事情が異なりました。
「次の試合に勝たなければ君のポジションは保証できない」
そう言われたのです。
それこそが、私の求めているものでしたし、最高の環境。プレッシャーがあるからこそ、私は朝ベッドから起き上がれるのです。
ワールドカップの少しあと、フィルの契約が更新されないことが分かり(2021年7月での退任を2020年4月に発表)、私は他の道を考え始めました。
数カ月前には監督としての素晴らしいオファーをいくつか受けていましたが、イングランド女子代表での仕事を優先して断っていました。2020年の東京オリンピック(2021年開催)とEURO2021(2022年開催)が控えており、エキサイティングな2年間が待っていると思っていたからです。
「私が監督に就任した時のカナダ女子代表は結果が伴わず、うまくいっていませんでした」
新型コロナウイルスのパンデミックと大会の延期によって状況は一変しました。フィルの後任としてイングランド女子代表の監督に私が選ばれることはありませんでした。サリナ・ウィグマンが新監督に就任し、彼女は気心の知れたコーチングスタッフを連れてきました。
私には、イングランドや米国のクラブチームからのオファーもありましたが、魅力を感じたオファーはカナダ女子代表の監督でした。
実は、イングランド女子代表の任に就く前、カナダの代表チームに携わっていたのです(2013〜18年頃)。U-17やU-20の監督を務めながらA代表のアシスタントコーチも兼任していました。
私は、アンダーカテゴリーの選手たち向けの育成プランを立て、計画に則って選手が成長できることをアシスト。私の仕事は、一人でも多くの選手をA代表に上げ、定着させることでした。
代表監督として私がカナダ女子代表に復帰した時(2020年10月に就任)、U-17時代に関わった選手が多くいました(下写真)。完璧な復帰のタイミングでした。
ロンドン・オリンピック(2012年)やリオデジャネイロ・オリンピック(2016年)で3位に入るなど、カナダ女子代表は世界でもトップクラスの代表チームだと思います。
しかし、私が監督に就任した時の代表は結果が伴わず、うまくいっていませんでした。「世界の強豪との試合で互角に戦える力がある」という雰囲気を感じられませんでした。大きな期待も抱かれていなかったと思います。
2021年2月にシービリーブスカップに出場。私にとっての初陣でしたし、新型コロナウイルスやケガの影響もあって6、7人の選手を欠いたために難しい大会になりました。結果は1勝2敗の3位でした。
ポジティブな要素もたくさんありました。米国戦では終盤に失点して0-1と敗れましたが、前回の対戦は0-3の完敗。スコアも内容も改善されていたため、正しい道を歩んでいると選手たちは信じられたと思います。
「オリンピックは6試合勝てば優勝できます。しかしカナダ女子代表は5試合目に勝ったことがありません」
延期された東京オリンピックが目前に迫っていました。大会に向けて私は、カナダ女子代表を負けにくいチーム、倒しにくいチームにしたいと考えました。
私が就任する前のカナダ女子代表は守備に大きな問題を抱えていました。攻撃面にも課題はありましたが、守備面の改善が優先と考えたのです。
求められたのはリアリスティックなチーム作り。攻撃面に目を向ければ、ビルドアップは大幅に改善できていました。さほどリスクを犯すことなく相手の第1守備ラインを越えられるようになっていたのです。
ただし、大会で結果を残すために必要なのは失点を減らすこと。ソリッドな守備網を構築しなければなりませんでした。
オリンピックに向けた4試合を我々は無失点で駆け抜けました。しかもウェールズ女子代表やイングランド女子代表との試合では素晴らしい得点もゲット。明らかに状況は良くなっていました。
先程も言いましたが、カナダ女子代表はロンドン大会とリオデジャネイロ大会で銅メダルを獲得していました。
東京で目指したのはメダルの色を変えること。仕事仲間に自分の決意を口にした時、怪訝な顔をされたこともあります。「不相応で野心的すぎる」と言われたことさえあります。だとしても、ハードルを高くして選手たちを追い込む必要があったのです。
オリンピックは6試合勝てば優勝できます。しかしカナダ女子代表は5試合目に勝ったことがありません。カナダ女子代表の前に立ちはだかっていたのが準決勝の壁なのです。
我々は、5試合目で勝つために必要なことを徹底的に分析。一つの解が、フレッシュな状態で準決勝に臨むことでした。
にもかかわらず、イングランド女子代表、日本女子代表、チリ女子代表とグループステージで同居。難しいグループでした。
初戦の日本戦は6分に先制しながら後半に追いつかれて引き分け。チリ戦は2-1で白星を手にしましたが、イングランドとの最終戦も終盤に失点してドローに終わりました。
「正直に言えば、勝つ気しかしていませんでした。ブラジル戦で劇的な勝利を収めたからだと思います」
あと一歩のところで勝利を逃したのは残念でしたが、勝ち点5(2位)でグループステージ突破を果たしました。
意味のない仮定ですが、オリンピックに向けて4年間の準備期間を与えられていたならば、多くの問題に対処し、解決できていたかもしれません。しかし私に与えられたのはわずか9カ月。いくつかの問題については大会期間中に対処しなければならず、イングランド戦のあと、課題を整理して解決できるように試みました。
準々決勝(7月30日)の対戦相手はブラジルでしたが、本当にひどい試合内容でした。私が率いた中でも最低の試合だったと思います。それでもなんとか0-0と引き分け、PK戦に持ち込めました。
カナダの一番手は女子サッカー史上最多となる190ゴールを決めたクリスティン・シンクレアでしたが、失敗しました。
その時、「これが、カナダ女子代表としての彼女のラストシュートになってしまうのでは?」と危惧している私がいました。
しかし、幸運なことにそれは現実にはなりませんでした。そもそも、彼女は2023年の女子ワールドカップにも出場することになっていました。にもかかわらず、私はPK戦後、選手やメディアに何を伝えるべきかとまで考え始めていたのです。PK戦という状況が私の思考を狂わせたのでしょう。
PK戦を含め、ディテールまで準備していました。キッカーはどこに蹴るか、どの方向にGKは飛ぶべきかだけでなく、チームを取り巻くすべてに関して準備を怠りませんでした。
我々は勝利を手にしました(上写真)。4-3とPK戦を制した我々は最高の結果を手にし、準決勝進出(8月2日)を果たしました。
次は運命の5試合目。準決勝の相手は最大のライバルであり世界一のチーム、米国女子代表でした。しかし、カナダ女子代表は20年もの間、米国女子代表に勝てていませんでした。
それでも正直に言えば、勝つ気しかしていませんでした。ブラジル戦で劇的な勝利を収めたからだと思います。具体的な理由は説明できませんが、ただそう感じていたのです。
「メッセージを見た瞬間、涙が溢れてきました。突然、すべてが現実味を帯びたのです」
我々は良いパフォーマンスを披露し、0-0のまま時計の針は進みます。そして75分、PKを獲得。勝利に向けて大きなチャンスを得ました。
実は、このPKの時のちょっとした振る舞いが私たちにアドバンテージを与えたのです。
米国のGKアドリアナ・フランチはクリスティンのチームメイトだったのです。
PKを獲得すると、ある作戦を携えてクリスティンはボールを手に取りました。そして最後の最後、クリスティンはジェシー・フレミングにボールを渡したのです。GKの動揺を誘う作戦でした。ボールを託されたジェシーは見事にゴールを決め、我々は勝利。ついに5戦目で勝ったのです。
まるで金メダルを獲得したかのような喜びようでした。米国女子代表に勝ったことのある選手は一人もいませんでしたし、とても重要な勝利だと誰もが分かっていたからでしょう。
しかし私は、次の試合に向けて選手たちを再び集中させなければならないと気づきました。私はすぐに決勝戦(8月6日)へ向けて気持ちを切り替え、米国に勝ったあとのささやかな祝賀会に関する記憶はほぼありません。金メダルを懸けた試合がすぐそこに迫っており、選手たちを現実に引き戻すためにはどうしたらいいかと考えていたからでしょう。
メダルの色を変えることには成功しました。しかし、銀メダルで満足できる選手は一人もいないようでした。
東京オリンピックを通じ、イングランド、日本、ブラジル、米国という世界のトップ10に入るチームを撃破。とてもタイトでハードな日程を勝ち上がってきたため、準決勝の翌日はフリーにしました。スイッチを切り、サッカーのことを忘れてオリンピック村で楽しむように伝えました。
決勝の相手はスウェーデン。見事な戦いぶりで勝ち上がってきた相手が待ち構えていました。
試合直前、ガレス・サウスゲート(当時はイングランド代表監督)とフィル・ネビル、そしてイングランド代表のGKや複数の選手からビデオメッセージをもらいました。
「我々を待ち受けていたのはあまりにもクレイジーなPK戦でした」
メッセージを見た瞬間、涙が溢れてきました。突然、すべてが現実味を帯びたのです。
東京オリンピックは新型コロナウイルス禍の中で開催されたため、スタンドにサポーターの姿も見えず、孤立無縁。現実味が乏しかったのです。しかし、その映像を見て、決勝の重要性をあらためて実感したのです。
フィルの誠実なメッセージを聞き、自分たちが偉大なことを成しつつあることを思い出しました。未来が見通せない不安な時期を乗り越え、キャリアを積み上げ、ついにオリンピックの決勝に到達したのです。我々はこの瞬間を逃さず、チャンスを絶対に物にしなければならないと思いました。
34分に先制を許して0-1で前半を終えました。ハーフタイムに2人の選手を入れ替えた我々はエネルギーを取り戻し、67分に追いつきました。1日のオフが選手たちに活力を吹き込んだのだと信じています。
1-1のまま勝敗の行方はPK戦に委ねられました。
PK戦の間、私は強烈な緊張感に押しつぶされそうでした。生死を分ける瞬間とはあのような時間を指すのでしょう。
PKの練習は積んでいましたし、ブラジル戦ではPK戦の末に勝利を手にしていました。しかし、オリンピックの優勝という大事なことをPK戦で決めるのはあまりに残酷すぎます。
そして、我々を待ち受けていたのはあまりにもクレイジーなPK戦でした。
最初のキッカーこそ成功しましたが、続けて3人が立て続けに失敗。「もうダメか……」と思いましたが、我々の守護神、ステファニー・ラビーがスウェーデンの4人目を止めてくれました。土俵際で踏みとどまることができたのです(この時点でPK戦は1-2)。
「多くの栄光を手にするのは簡単ではなく、ワールドカップという頂きはより高くなって我々の前に立ちはだかるでしょう」
あの瞬間から会場の雰囲気は一変しました。希望が見え始め、チームに信念が宿ったのです。
そして、スウェーデンの5人目はレジェンドであるキャロライン・セーガーでしたが、失敗。カナダは5人目が成功してサドンデスに持ち込むことに成功しました。するとラビーがスウェーデンの6人目も止め、ジュリア・グロッソが決めてくれました(PK戦の最終スコアは3-2)。
遂にやり遂げました。メダルの色を変え、私たちは金メダリストになったのです。
あのような感覚は味わったことがありませんでした。とてもふわふわしていました。みんなとハグしてピッチを歩き回り、携帯で家族と話したはずなのですが、すべてがぼんやりしています。
今でも不思議なのですが、私たちは勝利したあとの準備を何もしていませんでした。優勝パーティーの予約はもちろん、冷えたシャンパンも何も用意していなかったのです。
今にして思えば、あの特別な瞬間をできる限りエンジョイすべきでした。もちろん楽しみましたが、もっともっと楽しむべきだったと思うのです。
優勝後、カナダ女子代表を取り巻く環境はガラリと変わりました。多くの栄光を手にするのは簡単ではなく、ワールドカップという頂きはより高くなって我々の前に立ちはだかるでしょう。
しかし私は「一度だけ勝った監督」にはなりたくありません。ですからこれからも、すべてに勝つことを求めていきます。
一つでも多くのメダルを獲得し、特別な瞬間を心から味わいたいのです。
翻訳:石川桂