リオネル・メッシ
アルゼンチン代表:2005〜現在
カタール・ワールドカップにおけるアルゼンチンの優勝は、リオネル・メッシ(1987年6月24日生まれ)が初出場から16年かけてついに到達したものであり、アルゼンチン代表にとっては36年ぶりの世界王座獲得。とりわけ、あらゆるタイトルを抱いてきたメッシにすれば、最後の最後まで苦しみながらも手にしたファイナル・ピースと言っていい。
2022年大会で数々の金字塔を打ち立てたメッシだが、5大会を通じて積み上げてきたレコードもある。このレポートではメッシの足跡を追いたい。
まず、通算出場試合でもメッシはトップに立った。
以前の最高数はローター・マテウス(ドイツ代表)の25(15勝6分け4敗。PK戦は引き分け)。メッシは準決勝で並び、決勝に出場してマテウスを追い抜いて26(16勝5分け5敗)に伸ばした。
5大会で13ゴールを集めたメッシはガブリエル・バスティトゥータ(9ゴール)を抜いてアルゼンチン人のトップスコアラーとなった。通算得点数ランキングも4位まで駆け上がった。
アルゼンチン代表では172試合に出場して98得点。アルゼンチン代表では初となる100の大台まであと2つに迫っている。
■歴代通算得点ランキング
1位 ミロスラフ・クローゼ(16得点:ドイツ代表)
2位 ロナウド(15得点:ブラジル代表)
3位 ゲルト・ミュラー(14得点:西ドイツ代表)
4位 ジュスト・フォンテーヌ(13得点:フランス代表)
ドイツ・ワールドカップ(2006年):準々決勝敗退
初めてのワールドカップでメッシ(18歳。以下、年齢は開幕時)が背負ったのは背番号19。ホセ・ペケルマン(1949年9月3日生まれ)がチョイスした「4-2-3-1」システムにおいて「3」の左やセンターに入った。
出番を得たのは6月16日に開催されたグループステージ第2戦(◯6-0セルビア・モンテネグロ)だった。マキシ・ロドリゲスに代わって75分からプレシー、『アルビセレステ』(白と空色を意味するアルゼンチン代表の愛称)の6点目をマークした。続くオランダ戦ではスターティングメンバーとなるも0-0のドロー。決勝トーナメントの1回戦、メキシコ戦では19歳の誕生日を迎えたメッシは84分から交代出場し、98分にマキシ・ロドリゲスが決めたゴールでアルゼンチンが勝利を収めた(◯2-1)。しかし、ドイツとの準々決勝では出場機会を得られなかった(●1-1、PK2-4)。
初出場を果たした大舞台では3試合に出場して1得点。ただし、先発は1試合限りであり、合計出場時間は121分だった。
■3試合出場1得点(試合平均0.33得点)
ドイツ大会におけるメッシの起用方法に関し、ペケルマン監督は大会後、『TNTスポーツ』のインタビューで次のように語っている。
「将来、メッシは世界最高の選手になると思う。しかし、2006年の大会は『メッシの大会』ではない。試合状況を考えながら、できる限り多くの時間にプレーさせようとした。聞くこと、学ぶことも彼にとってプラスに働くだろう。アルゼンチンのドレッシングルームの雰囲気を知ることも大事。どのように過ごすのかを理解すべきだし、ガブリエル・ハインツェ、ロマン・リケルメ、エルナン・クレスポ、ガブリエル・ミリート、エステバン・カンビアッソのような経験豊富な選手と話すのも素晴らしい経験だ」
南アフリカ・ワールドカップ(2010年):準々決勝敗退
22歳になっていたメッシはすでに『バロンドール』と『FIFA年間最優秀選手』を受賞し、偉大な選手になっていた。しかもアルゼンチン代表を率いるのが英雄、故ディエゴ・マラドーナ(1960年10月30日-2020年11月25日)となれば、チームに対する期待も大きくなるというものだ。しかし、華々しい結果を残すことはできなかった。
マラドーナ監督は「4-3-1-2」システムを採用し、「1」に据えたメッシに攻撃の全権を託した。グループステージではナイジェリア(◯1-0)、韓国(◯4-1)、ギリシャ(◯2-0)を撃破し、メッシもフルタイム出場。しかしゴールを奪うことはできなかった。
23歳の初戦は決勝トーナメント1回戦。メキシコは3-1で料理したが、続く準々決勝では再びドイツの前に屈した(●0-4)。
今大会のメッシは5試合で450分もプレーしたが、ノーゴール&ノーアシスト。FCバルセロナで見せているパフォーマンスとは程遠いものだった。
■5試合出場0得点(試合平均0得点)
2010年大会でメッシと共に戦ったカルロス・テベスはマラドーナとメッシの関係ついて後日、語っている。
「メッシを気にかけているマラドーナの姿をよく目にした。マラドーナはメッシが心地良くなれる方法をいつも探し、フィールド上でも気持ち良くプレーして欲しいと願っていたようだ」
ブラジル・ワールドカップ(2014年):準優勝
メッシが世界王者を決めるファイナルに初めてたどり着いたのがブラジル・ワールドカップ。27歳になっていた。
グループステージでメッシは「らしい存在感」を発揮。ボスニア・ヘルツェゴビナ(◯2-1)、イラン(◯1-0)、ナイジェリア(◯3-2)を相手に3試合連続ゴールをマークし、ナイジェリア戦では自身初となる試合2ゴールを達成した。「5-3-2」システムや「4-3-3」システムを操ったアレハンドロ・サベラ監督の下、比較的自由にプレーできたことが活躍の要因と言えるだろう。
もっとも、決勝トーナメントでは思うようなプレーを許してもらえなかった。スイスとベルギーを1点差で下してオランダとの準決勝はPK戦の末の勝利(◯0-0、PK4-2)。3大会連続の顔わせとなったドイツとの決勝では、延長の113分にマリオ・ゲッツェのゴールを浴びてワールドカップには手が届かなかった。
優勝こそ逃したが、メッシの個人スタッツは悪くはない。7試合(693分)にプレーし、4得点1アシスト。メッシがいなければ準優勝も難しかっただろう。
■7試合出場4得点(試合平均0.57得点)
2014年大会でアルゼンチン代表を率い、ワールドカップの舞台でメッシの良さを存分に引き出したサベラ監督(1954年11月5日-2020年12月8日)は生前、メッシの存在を称賛していた。
「(メッシは)バロンドールにふさわしい選手だし、ワールドカップでは素晴らしいプレーを見せてくれた。決勝まで勝ち進めたのはメッシがいたからだ」
ロシア・ワールドカップ(2018年):ベスト16
ワールドカップに3回出場し、しかも前回大会では決勝まで進出しながらメッシとアルゼンチン代表は誰もが欲しがるタイトルに手が届いていない。早いもので、ロシア・ワールドカップが開幕した6月14日をメッシは30歳で迎えた。
薄氷を踏む思いでグループステージを戦うことになる。試合ごとにシステムが変わる中、アイスランドに引き分けて(△1-1)、クロアチアに0-3の完敗。ナイジェリアとの最終戦ではメッシが先制ゴールを決めて勝利(◯2-0)を引き寄せ、決勝トーナメントへの扉をどうにかこじ開けた。
悲願の優勝を目指すメッシの前に立ちはだかったのは優勝することになるフランス。一時は2-1とリードを奪ったが、57分に追いつかれて64分と68分にキリアン・エムバペ(大会時は19歳)にゴールを許して突き放された(●4-3)。48分にガブリエル・メルカドが逆転ゴールを決めた時にはベスト8も見えたのだが……。
メッシ自身は4試合にフル出場して1得点2アシストをマークした。
■4試合出場1得点(試合平均0.25得点)
再び期待を裏切った格好のメッシに対してホルヘ・サンパオリ監督はチリの『ADN Deportes』を通じて最大限の賛辞を送った。
「メッシを指導するのは天才を指導することと同じ。しかも彼は誰よりも優れた人間だ。多くを語るリーダーではないが、彼には勝敗を見極める特殊な能力があり、だからこそ『今すべきこと』が分かる」
カタール・ワールドカップ(2022年):優勝
35歳で冬の大会の開幕を迎えたメッシは「最後の大会」とも言われる中、多くの者の予想を大きく上回るパフォーマンスを見せる。ペケルマンがかつて言っていた「メッシの大会」がついに到来し、トロフィーケースに唯一欠けていたものを手に入れた。
グループステージの初戦となるサウジアラビア戦でメッシが先制ゴールを決め、勢いに乗るかと思われたがまさかの逆転負け(●1-2)。暗雲が垂れ込めたが、今大会のメッシは何かが、いやすべてが違った。続くメキシコ戦でも自身のゴールで口火を切って2-0の勝利に導き、ポーランドとの最終戦では味方の得点で勝ち抜きを決めた(◯2-0)。
決勝トーナメントに入ってもメッシの勢いは衰え知らず。決勝トーナメント1回戦(◯2-1オーストラリア)、準々決勝(◯2-2、PK4-3オランダ)、準決勝(◯3-0クロアチア)、そして決勝(◯3-3、PK4-2フランス)と立て続けにゴール。大会を通じて7ゴール&3アシストで優勝に貢献した(プレータイムは690分)。しかも、アルゼンチンが奪った全15ゴールにおいてメッシが関わっていない攻撃から生まれたのはたったの3つ。数字だけ見てもメッシの存在がいかに大きかったかが分かる。
なお、同一大会でグループステージ、ベスト16、ベスト8、準決勝、決勝でゴールを決めたのはメッシが初めてだ。
■7試合出場7得点(試合平均1.0得点)
メッシのためのチームを作り上げ、メッシの大会を演出したリオネル・スカローニ監督は言う。
「次のワールドカップでも彼の居場所を確保しておくべきだ。登録メンバーが26人ならば、背番号10をメッシのために空けておいても問題はない。彼は、驚異的な存在だし、誰も見たことがないようなことをやってのける。彼とトレーニングは素晴らしい時間だ」
翻訳:The Coaches’ Voice JAPAN編集部