クリス・コールマン
ウェールズ代表監督:2012-2017
ウェールズ代表の監督に私が就任したのは、サポーターにとって喜ばしいことではありませんでした。
2012年1月、私は監督に任命されました。ガリー・スピード前監督(1969年9月8日-2011年11月27日。下写真)の死去という悲劇的な状況下での出来事でした(コールマンは1970年6月10日生まれ) 。
監督としての第1章は本当にタフなものになりました。恐らく、頑張り過ぎてしまったのだと思います。結果を出すこと、サポーターに喜んでもらうことに必死になりましたが、すべてが悪い方向に進みました。振り返れば、多くの人に過剰な要求をしていた気がします。
2014年のブラジル・ワールドカップ出場も逃しました(予選では3勝1分け6敗9得点20失点でグループ5位)。
EURO2016(フランス開催)までの新しい契約にサインした時、私はいくつかの点を変えることを決めました。
誰もが、当時のチームを「黄金世代」と呼びました。レアル・マドリードに所属していたガレス・ベイルを筆頭に、アーロン・ラムジー、ジョー・アレン、アシュリー・ウィリアムズ――。本当に素晴らしい選手たちが揃っていました。
一方、呼び名にふさわしい結果を国際舞台で残せていないのも事実でした。私は彼らに、黄金世代と呼ばれるだけのタレントがいることを認めると言いながら、いくつかのことを聞きました。
「代表に何を求めているのか?」
「自国のためにプレーすることにどれだけの犠牲を払えるか?」
当時、他の代表チームを見渡すと、100キャップ以上の選手が多くのチームでプレーしていました。しかしウェーズル代表は、GKネヴィル・サウスオール(1980年代と90年代にエヴァートンで活躍)の92キャップが最高。当時のメンバーには、それに近い選手すらいませんでした。
「他の国の選手にとって代表でプレーするのは、ウェールズよりも大きな意味を持つのだろうか?」
そう選手に聞いたこともあります。
1958年のワールドカップを除けば、ウェールズはメジャーな国際大会の本戦に出場できず、100キャップを越える選手もいなかったからです。
「開始6分にPKを沈められてアンドラにリードを許すとは思いませんでした。その時、EURO2016が遠のいたように感じたのは事実です」
「ウェールズのために戦う」というメンタリティーを持ってもらう必要があると考えました。「自分の国のためにプレーする」、「そのためにハードワークしてコンディションを整える」と思える選手が必要だったのです。クラブでの活動を休むために代表活動に参加するような選手は不要。我々に必要なのは、ウェールズ代表のユニフォームを着ることを愛し、そのためにはいかなる犠牲も厭わない選手でした。
同時に、故ガリー・スピードの意志も引き継ぎました。彼は、より良い施設とより多くのチームスタッフを要求していました。選手たちをしっかりとケアするためです。ガリーは、ウェールズが世界のトップになることを望み、そのための基礎作りに奔走していました。
ウェールズ代表に選ばれる選手の多くは素晴らしい施設を完備するビッグクラブに所属しています。ですから、デコボコのピッチでトレーニングして安いホテルに宿泊、質の低い食事が出てくるような「小さくて、古い」ウェールズ代表は魅力的に映りません。
我々はすべてにおいて高い水準を求め、協会はできる限りのサポートを約束してくれました。
キャンプを通じ、チームのメンタリティーが変化していくのを感じました。選手たちは自分がより重要な存在であると感じ始め、言い訳が許されない雰囲気が醸成されていきました。もう、二流チームではいられないのです。
変化の過程では争いもありました。それでも選手たちはピッチ上のパフォーマンスで応えてくれました。
予選の序盤では厳しい批判も浴びました。
2014年に始まる予選に向け、私は3バックの採用を決意していたのです。
3バックを試運転したのは予選の初戦となるアンドラ戦(2014年9月9日)。しかし、格下であるアンドラ相手に「守備的」に見える3バックを採用したため、より一層激しい批判を浴びることになります。また悪いことに、試合会場は人工芝。個人的には最低ランクのピッチだと考えていたため、非常に難しい試合になることは覚悟していました。
しかし、開始6分にPKを沈められてリードを許すとは思いませんでした。その時、EURO2016が遠のいたように感じたのは事実です。
それでも我々は修正に成功します。22分にベイルのヘディングで1-1の同点とし、81分には再びベイルがFKを直接決めて逆転に成功。この試合で勝利し、チームの雰囲気はガラっと変わりました。
勝利で予選をスタートできたのは実に素晴らしいことでした。その後、ボスニアとカーディフで戦い、0-0と引き分けました(2014年10月10日)。勝ち点1以上の価値があったと思います。素晴らしい選手を擁する相手に対し、素晴らしいパフォーマンスを選手たちは披露してくれたのです。
次の試合では、後半を10人で戦うことを強いられながらもキプロスに2-1と競り勝ちました(2014年10月13日)。
イスラエルを3-0で破った試合(2015年3月28日)ではシステムを変更しました。「3-4-3」システムを導入したのです。最終的には、このシステムでEURO2016の本大会に望むことになります。
イスラエル戦も素晴らしい内容でした。自分たちの力を本当の意味で信じられるようになるキッカケを得た試合です。
徐々にファンもチームを信じてくれるようになってくれる中、ベルギーと対戦(2015年6月12日)。1-0と勝利しました。私が経験した中でも最高の雰囲気の中でのゲームでした。相手は世界最高のチーム(当時のベルギーはFIFAランキングのトップ)ですから、信じられないような勝利でした。サポーターたちのおかげで、あのスペシャルな1日は作られたのです。
計算上は勝ち点の積み重ねがまだまだ必要でしたが、私の感覚では、予選突破を決めたのはベルギー戦です。
「(EURO2016を前にした親善試合では)相手に完璧に上回られました。ただ結果としては、それが良かったんです」
ベルギーに勝利したあとは、対戦相手との格を気にしなくなりました。チームには、「どんな相手にも勝てる」という空気に満ちていました。私たちはアンストッパブルでした。
「あなたの国を失望させる」、「あなたのせいで国が失望する」、これほどひどいことはないでしょう。しかし、ウェールズ代表の監督に私が就任した時、そういうことが私の身には起きていました。
しかし、あなたにみんなが寄添い、あなたを誇りに思ってくれれば、それは大きな力になります。それが、予選を突破した時に起こったことです。EURO2016本大会への切符を手にし、カーディフでみんなと一緒にお祝いした時の感覚を私は忘れることはないでしょう(最終節のアンドラ戦で2-0と勝利して突破決定)。
ウェールズにとって58年振りの主要大会出場でした。
我々は決定の瞬間を心から楽しめましたし、サポーターも同じ。一緒に祝うことで絆が生まれ、それが本大会につながりました。
しかし、本大会に向けた親善試合ではいい結果を得られませんでした。北アイルランド(△1-1)に引き分け、オランダ(●2-3)とスウェーデン(●3−0)に敗れました。EURO2016の初戦を6日後に控えていたにもかかわらず、スウェーデンに完敗を喫したのです。相手に完璧に上回られました。
ただ結果としては、それが良かったんです。
「こういった小さな瞬間の積み重ねが、フットボールの大会を特別なものにするのです」
敗戦によってチームには警報が鳴り響きました。フレンドリーマッチの結果を受けて、グループステージ初戦のスロバキア戦(6月11日)に向けてより細かな調整と準備を進めました。
しかし私たちに対する失望や疑念はとても大きかった。「得点を決めるどころかCKさえも獲得できないかもしれない」と言う人さえいたのです。
初戦で国歌を聞いた時はとても興奮しましたし、同時に少し緊張もしました。最初の2分間はひどいプレーばかりでした。しかし徐々に落ち着きを取り戻すと、10分にベイルのゴールで先制。61分に追いつかれましたが、我々が試合をコントロールしていたため、少なくとも勝ち点1は得られるだろうと手応えを感じていました。
しかし、私の予想はいい意味で裏切られます。
81分、ハル・ロブソン=カヌが難しい体勢から勝ち越しゴールを決めたのです(上写真)。フランスまで駆けつけてくれたサポーターでスタジアムは超満員。次のイングランド戦(6月15日)を良い状態で迎えるためにとても大きな勝利でした。
メディアによって操作、誇張されている部分もありましたが、イングランド戦はイングランドよりもウェールズにとってより意味のある試合でした。理解しづらいかもしれませんが、ウェールズがイングランドと戦うのは、イングランドがウェールズと戦うこと以上の意味を持つのです。例えば、イングランドは常に世界大会に出場し、ウェールズよりもレベルの高いチームといつも戦っています。
ガレスのFKで我々は42分に先制しましたが、その後のゲーム展開は非常に難しいものでした。ボールを保持しても何もできませんでした。
「監督にとって、自分のアイディアを選手たちがピッチ上で完璧に実行するのを見るのは特別な感覚を呼び起こすものです」
振り返れば、イングランドのようなチームに対し、たった1点のリードを守り切ろうとすべきではありませんでした。結局、我々は代償を払わされ、ラストプレーで逆転されます(56分に同点、90+2分に逆転)。
パフォーマンスと結果、そして自分たちに失望しました。しかし、スタジアムからの帰る途中で、自分の気持ちを高める出来事を目にしました。
イングランドとウェールズのサポーターたちがビールを飲み、歌を歌いながら街でサッカーをしていたのです。我々には厳しい1日となりましたが、彼らの姿を見てとても嬉しくなりました。
写真に収めたい瞬間でした。こういった小さな瞬間の積み重ねが、フットボールの大会を特別なものにするのです。
どこへ行っても我々の後ろには「赤い海」が広がっていました。私たちはほとんどの試合を多くのサポーターと共に戦えました。本当に素晴らしいサポートをもらいましたし、雰囲気も最高でした。
最も素晴らしい例がロシアと戦ったグリープリーグ最終戦(6月20日)でした。
ベスト16進出に向け、私たちに必要だったのは1ポイントだけ。こういう状況は時として、「勝利が絶対条件」よりも準備が難しくなります。引き分けを狙って試合をするのは非常に難しいからです。
私は選手たちに問いかけました。
「この状況にどう立ち向かうかは自分たちで決めてほしい」
彼らは自分たちが攻撃的な姿勢を示した時の破壊力を理解していましたし、それを披露したいと思っていました。だから、そのメンタリティーで試合に臨むことにしました。
「我々が求めたのは、ウェールズ代表のユニフォームを着ることを愛し、そのためにはいかなる犠牲も厭わない選手なのです」
とても美しいトゥールーズの夜でした。選手たちは最初の1分から試合終了まで完璧なパフォーマンスを披露してくれました。完全にロシアを上回りました(下写真)。ウェールズ代表監督としてのベストゲームです。
監督にとって、自分のアイディアを選手たちがピッチ上で完璧に実行するのを見るのは特別な感覚を呼び起こすものです。一人ひとりの選手が輝き、3-0の勝利とグループステージ首位通過にふさわしい出来でした。
あの瞬間、私たちは自信に満ちていました。ただし、先のことを考えたり、浮かれたりしてはしていません。それは絶対に避けなければいけないことです。
もちろん、瞬間的には「もしかして……」という思いが頭をよぎることもあります。しかし、すぐにその考えを頭から消し去り、現実を見ます。監督が先走ることは許されないのです。
グループステージを突破した我々の対戦相手は、北アイルランドかトルコになることになっていました。明らかに、トルコのほうが強敵。しかし正直に言えば、イギリス系のチームとはもう対戦したくありませんでした。
また、「ウェールズのほうが優位」と思われ、周囲の人々が勝利を求めているような状況は避けたかった。そういう状況では、選手たちをどのようにコントロールすべきかを見失いそうでしたし、我々がチャレンジャーであり、相手に余計なプレッシャーがかかっている状況が理想的だったのです。
しかし、北アイルランドとの対戦が決まりました。非常にタフに戦う、難しいチームです。
試合当時(6月25日)は雨になることを祈っていました。雨でピッチが濡れ、ボールを速く動かせる環境が良かったのです。しかし試合当日は非常に暑く、湿度も高かった。望ましい環境ではありませんでした。
北アイルランドは低い位置でブロックを作りました。彼らはとてもソリッドにプレーしました。北アイルランドのペースで試合は進んでいるように感じました。時計の針が進むにつれ、さらに難しい試合展開になっていると感じていたのですが、運が味方します。残り15分、オウン・ゴールによって我々が得点したのです。
得点のあと、DFアシュリー・ウィリアムズが相手のジョニー・ウィリアムズと激突して肩を負傷。私は交代の準備を進めましたが、彼はベンチのほうを振り向き、こう言いました。
「交代はしない!」
「ハルには別のアイディアがありました。彼は『クライフ・ターン』をして相手DFをかわし、ボールをゴールネットに突き刺しました」
彼はベンチに向かって叫びました。
彼の行動がチームの素晴らしいリアクションを生みました。「すべてを捧げなければ前に進ことはできない」と改めて理解させてくれたのです。目標達成には、一緒になって戦う必要がありました。アシュリーのおかげで選手たちの気持ちが一つになり、準々決勝まで進出できたのだと思います(○1-0)。
国際大会ではチームの全員が同じ「泡」の中で生活します。
パリのホテルに戻った時、選手の家族も招いて勝利を祝いました。選手にとっては大切な瞬間になったと思います。ハードなトレーニングを来る日も来る日も続ける中で重要な勝利を祝えるのは大きな喜びになります。しかも、我々にとっては信じられないような偉業。私たちの絆をより強めた夜になりました。
準々決勝のベルギー戦(7月1日)は強く記憶に残る試合になりました。
我々は何度も何度もチャレンジし、ベルギーにも何度かチャンスはありました。
しかし、我々のほうが優れていたと思います。
13分、ラジャ・ナインゴランに素晴らしいゴールを許しましたが、選手たちは頭を下げたりはしませんでした。我々は決して諦めません。
大会に向けた準備では多くの時間をセットプレーのトレーニングに割きました。
その努力が実ったのは31分。アシュリー・ウィリアムズがCKから同点ゴールをヘディングで決めました。
そして55分、ハル・ロブソン=カヌが追加点。大会のベストゴールの一つとなるゴールを決めたのです。
全員が目撃しました。
ハルがペナルティーエリア内でボールを受けた瞬間、私を含め、多くのサポーター、恐らくスタンドにいたすべての人間が「ハルの背後にいるジョー・アレンにパスしたほうがいい」と思ったでしょう。実際に私は、「ジョー・アレンにパスしろ!」と叫んでいます。
しかし幸運にも、ハルには別のアイディアがありました。彼は『クライフ・ターン』をして相手DFをかわし、ボールをゴールネットに突き刺しました。
あの時のチームの喜びようは……、信じられないものでした。あのような日々を思い出すと、自然と笑みが溢れます(○3-1)。
残念ながら、ベルギー戦でイエローカードを提示されたベン・デービスとアーロン・ラムジーがポルトガルとの準決勝(7月6日)に出場できなくなりました。2人の欠場によってチームのバランスを微妙に狂います。
「あのような経験を共にすれば、その関係は一生のもの。決して消えることはありません」
試合に向け、クリスティアーノ・ロナウドへのクロス対策を練りました。それが唯一の攻撃の形だと分析したからです。
実際に試合が始まって驚きました。ポルトガルが低い位置でブロックを作り、多くの時間帯で我々にボールを保持させてくれたからです。ただし、彼らの守備ブロックを崩すのは骨が折れる作業でした。
試合の多くの時間でポルトガルの選手を我々のゴールから遠ざけることに成功しましたが、C・ロナウドにヘディングを決められます(50分)。その後の5分間、我々はバランスを失っていました。わずか3分後に2失点目。多くのことを失い、取り戻すことはできませんでした。
EUROの本大会にたどり着くために多くのことを犠牲にしました。準決勝まで勝ち上がったことは誇りに思っています。しかし、敗戦後は全員が大きな失望感に包まれていました。ロッカールームには実にさまざまな感情が渦巻いていました。
大会前、ウェールズの躍進を予想した人はほとんどいないでしょう。それほど素晴らしい結果を残しても、準決勝敗退の痛みは未だに癒えていません。
信じられない旅路でした。
今でも、当時の選手やコーチングスタッフと会えば、すぐに心を通わせることができます。あのような押しつぶされそうなプレッシャーを一緒に経験したからこそできるのだと思います。
あのような経験を共にすれば、その関係は一生のもの。決して消えることはありません。
多くの人たちが抱いてた我々に対する誤った評価を覆せました。そもそも、ほとんどの人たちはウェールズがEUROの本大会に駒を進めることすら信じていなかったのです。でもだからこそ、準決勝までたどり着けたことは我々にとって大きな意味を持っているのです。
逆境とも言える状況下でポジティブな結果を得ることができたのです。あれ以上のことはありません。何事にも変えられない価値と経験です。
私たちが築いた絆は決して壊れることはありません。
翻訳:The Coaches’ Voice JAPAN編集部