クラレンス・セードルフ
ACミラン, 2014
トップレベルを出発点にする、それは私にとってごく自然なこと。
こうした物言いに首を傾げたくなるのは分かる。しかし、聞いてほしい。私にすれば、最も馴染みがあり、最も理解しているのはトップレベルの環境。だからこそ、育成年代ではなく、トップチームなのだ。
そして、ACミランのような名門クラブでスタートを切るのも私にとってはごくごく自然なこと。能力と自信を持ち、そして準備を整えてきたと信じる者であれば、誰もが同じ選択をするだろう。
2014年、ACミランのシルビオ・ベルルスコーニ会長から電話があった時、自分には能力も自信もあると感じていた。2年前、ACミランを去る時からこの時のために準備していたからだ。実は、ACミランからボタフォゴ(ブラジル)へ移籍する際に会長とある話をしていた。将来、指導者としてクラブに戻ることについてだ。
「準備しておいてほしい。ブラジルにいい選手がいれば、チェックしておいてくれ」彼にそう言われた。
とは言え、これほど早く私が「復帰」するとは誰も思わなかっただろう。早くても5年後、か……。たった2年で復帰するとは自分でも思わなかった。
若い頃からコーチ業に興味を持っていたのかもしれない。アヤックス(オランダ)でデビューしたときから当時のルイス・ファンハール監督によく話しかけ、彼のやっていることをつぶさに観察していた。その後、オランダのコーチングコースを受講し始め、関わってきたコーチたちのコーチング方法を振り返るようになった。指導を受けているときは自覚していなかったが、心のどこかでコーチ業に関心を抱いていたようだ。
現役時代を振り返ると、周囲からコーチのように接せられることが私にはあった。コーチとよくコミュニケーションを図り、協力していたからかもしれない。それが私の役割とも思っていた。
自分の性格やキャラクターも、私の立ち位置に影響を与えたのだろう。
昔からリーダーシップがあり、サッカーの戦術面にも興味があった。それに加え、私を取り囲む選手たちに興味があった。20年以上も選手として過ごせば、いろいろなシーンに直面するものだ。チーム内で選手同士が対立することや個人的な問題を抱えて支えが必要な選手がいることもあった。よくあることだ。そして、多くの問題が解決される瞬間に立ち会ってきた。
コーチは、さまざまな問題を無視せず、直視して解決策を探さなければいけない。解決しないでやり過ごそうとすれば、さらなる問題を引き起こしかねないからだ。チームにとっては、ピッチ外で発生する問題とピッチ内で発生する問題は同じくらい重要だと私は思う。
2012年から2年間はボタフォゴでプレーしながら、オズワルド・オリベイラ監督(鹿島アントラーズや浦和レッズの元監督)の指導方法を見てコーチとしての準備をしてきた。オランダ、イタリア、スペインなど、いろいろな国々のサッカーに触れられてきたのは、貴重な体験であり、何事にも代え難い財産だ。
そうした経験は多方面の知識を増やしただけでなく、順応力も磨いてくれた。
ブラジルでの経験は自分の若かりし頃を思い出させてもくれた。プレーしたポジションがそうさせた部分もあるが、自由な発想、そしてサッカーをプレーできる喜びを取り戻せたことの影響が大きかった。
ボタフォゴでも、コーチ陣と密なコミュニケーションを図りながら働けた。個人分析やゲーム分析について分析チームと話し合う機会も得られた。
チームづくりに大きく関われたのだ。
また、U-16とU-17ではコーチとして働いた。この経験によってコーチングコースの『指導実践課題』をクリアすることができた。確かに、オランダとブラジルを行き来してコーチングコースを修了するのは簡単ではなかったが、「将来につながる」と確信して全力を尽くした。
「ビジョンを明確にしてミラノへ赴いた私に迷いはなかった」
会長から監督就任を頼まれたとき、引き受ける以外の考えはなかった。会長との約束もあったが、特別なチームであるACミランからの要請を断れるはずがない。あと数年プレーし、現役の姿をより多くのサポーターに見せられることもできただろう。しかし、ACミランの状況を理解していた私は引退を決め、ACミランを手助けできる道を選んだ。
ミランが抱えていた問題の解決策を知っている気もしていた。
実際にプレーすること、コーチ陣の一員になること、自分のチームを持つこと、こうしたさまざまな側面をブラジルで見聞きしたこともあり、監督になる心の準備はできていた。
就任当初、「下のカテゴリーから始めてゆっくり経験を積み上げればいいのに」と多くの人に言われていた。しかし私は、その意見に同意できない。なぜなら、プレーしたこともないカテゴリー、馴染みのないカテゴリーから始める必要性を感じないからだ。また、育成年代を預かろうが、トップチームを預かろうが、ミスするときはミスする。であれば、カテゴリーなど関係ない。
しかも、20年間の監督歴があっても失敗と無縁ではいられないのが監督という職業だ。
ある監督の経験値を計りたいとしよう。多くの人は、指揮した試合数や時間を気にするが、果たして、そうした数値で「監督の実力」を理解できるのだろうか?また、「選手に求めるプレー」、「理想のチーム」など、コーチングに関するビジョンが明確であったとしても、ビジョンを実現できないことのほうが多い。たとえ10年間、挑戦しても実現できないほうが多い。そういうものだ。
実は、コーチとして5、6年を過ごした頃に「始めた頃より混乱しているかもしれない」と口にする人も少なくない。
そういうこともあるのだから、才能やアイデアを持っていると判断した人物にはしっかりしたチャンスを与えてから「有無」を見極めるべきだと思う。サッカーだけでなく、人生においてもそうあるべきだ。
「ピッチ内の振る舞いを見れば、ピッチ外における選手の思いは分かる」
ビジョンを明確にしてミラノへ赴いた私に迷いはなかった。いや、コーチングコースの受講時から私のビジョンは明確だった。「強固なチームのつくり方」、「個々の活かし方」、「協力の仕方」、「プレッシャーとのつき合い方」に関して実体験を元にしたイメージを持っていたからだ。
カカ、クリスティアン・アッビアーティ、ダニエレ・ボネーラなど、元チームメイトの監督になることにも戸惑いはなかった。カカは単なる選手ではなく、親密な友人だとしても。
彼らの監督になることに難しささえ感じなかった。「選手である前に一人の人間である」と私は考える。そう考えるからこそ生まれるリスペクトがある。「コーチには決定権があり、実際にプレーするのは選手」という相互理解もその一つだと思う。
正直に言えば、シーズン途中からの指揮には独特の難しさが伴う。解任されたマッシミリアーノ・アッレグリ前監督が優秀だったからなおさらだ。だとしても、監督であれば誰もが望むACミランを率いたのは名誉なこと、と今でも思う。
監督就任当初、チームは極度の不振にあえいでいた。「降格圏内まで4ポイント差」という位置だった。それでもチームは息を吹き返し、8位でフィニッシュ。勝ち点で並んだトリノ(7位)に得失点差2で競り負けてヨーロッパリーグの出場権を逃したが、就任後のプレー内容は評価に値すると思う(19試合で勝ち点35)。
個人的には、クラブが悪い流れから抜け出せたこと、それに貢献できたことはいい経験となった。
(2018年2月5日に就任した)デポルティーボ・ラ・コルーニャ(スペイン)でも任務は似ていた。
ただし、7試合勝ち星なしでスペイン・リーグの18位、しかも選手が自信を失っていたために状況はACミランよりも厳しかった。精神的にも体力的にも落ち込んでいることがうかがえた。 ピッチ内の振る舞いを見れば、ピッチ外における選手の思いは分かる。そういうものだ。
最初の1週間は、観察と情報収集に費やし、全てを把握した上で改革に取り組んだ。手始めに手をつけたのはグラウンド外のことだ。ビデオ分析の方法、個人面談とチーム・ミーティングのタイミングを大きく見直した。
いわゆる「ショック療法」だ。大きな変化を試みなければ同じことを繰り返し、負の連鎖から抜け出せないと思ったからだ。
「監督に求められるのは『信じる力』を選手たちが失わないようにすること。たとえ負け続けたとしても、監督は選手の良い点に注目すべきなのだ」
グラウンド内ではトレーニングを1日2回に変更した。選手たちを追い込むことやフィットネスの改善が目的ではない。トレーニングに必要とされる集中力や覚悟、そして責任感を観察するためであり、長い時間を過ごすことで各選手の能力を把握できた。そしてチームづくりだ。私は、リーダーシップのある選手をまとめ上げるのがチームの目標達成に向けた第一歩だと考えている。彼らに監督のフィロソフィーを支持してもらい、監督をサポートしてもらえたならば、チームづくりの半分は終えたようなものだ。
我々は迅速に対処し、選手たちもすぐさま要求に応えてくれた。やる気は伝わってきた。本当に素晴らしかった。しかし、一朝一夕で自信は得られない。
選手たちはモチベーションを高く持ち、懸命に戦ってくれた。しかし私にとっての初ゲームは0-1でベティスに敗れ、続く試合でも同じスコアでアラベスの前に屈した。成果が伴わないことは疑心暗鬼を生ずる。このような状況で監督に求められるのは「信じる力」を選手たちが失わないようにすること。 私は、日々の行ないや練習の取り組み方を良くすることが良い結果を導くと信じている。その信念を伝えることを意識して選手を試合に送り出した。そしてたとえ負け続けたとしても、監督は選手の良い点に注目すべきなのだ。「ここは良くなった」「改善の過程だ。きっと結果は出るようになる」「信じ続けることが大切」そう伝え続けた。
マイナス思考になりやすいのが人間の本質だ。ネガティブにならないためにはプラスのエネルギーをたくさん受けたほうがいい。我々は、ポジティブなイメージ、前向きな考え方、プラスのフィードバックを選手に発した。改善点を伝えつつも、チームが建設的に機能するために、選手に伝える内容や話し方、そしてタイミングを配慮した。また、一方的な コミュニケーションにならないように選手からのフィードバックも求めた。同時に心理的なアプローチなど、あらゆる手法を駆使してチームのモチベーションを保てるように試みた。 確かに、「望ましい結果が出ている」とは言い難い状況だった。しかし、チームの雰囲気はポジティブに変化し、それは外部の人間にも感じられたようだ。「『ラ・リーガ』(スペイン・リーグ)で残留争いをしているチームには到底見えない」という声を聞くようになっていた。 勝ち点には結びついていなかったが、試合のたびに選手は自信を増していた。
「自由な発想を持った選手が戦術やシステムに当てはまるために順応していく姿を目にする。しかし、サッカーは数学のように方程式で成り立っているわけではない」
初勝利までは8試合を要した。8試合も勝てない状況に耐えられる監督はそう多くないだろう。だが、プレーの質は上がり、チャンスの数も増え、チームは著しく成長していた。FCバルセロナとレアル・マドリードを除けば、我々が最もチャンスをつくっていたとさえ感じる。それでも結果が伴わないことには内心、「自分の仕事が評価されていない」とイライラも募った。しかし、我々は必死にもがき、成果も見え始めた。だが、我々には時間が足りなかった……。
現時点で、監督としてうれしかったことを挙げるならば、初めて代表の監督となり、『アフリカ・ネイションズ・カップ2019』(アフリカ選手権)でカメルーン代表をベスト16に導いたことだろう。代表チームは選手と関われる時間が限られているため、クラブとは仕事内容が異なる。限定的な時間の中で成果を残さなければいけないのが代表監督だ。しかし、チームを取り囲む環境が異なったとしても、変わらないことが一つある。それは、才能ある選手が「違い」を生み出すこと。現代のサッカーにおいて、自由な発想を持つ選手が監督を魅了するとは断言できない。一方で、自由な発想を持った選手が戦術やシステムに当てはまるために順応していく姿を目にする。しかし、サッカーは数学のように方程式で成り立っているわけではない。選手であっても、監督であっても、自分の良さやアイディアを自由に発揮できることを大事にしてほしい。そして私は、明確なイメージを持ち、選手やクラブとそのイメージを共有して「特別な何か」を生み出してほしいと願う。そのためのスタート地点はどこでもいい。
翻訳:澤邉くるみ