クリスティアーノ・ロナウド
Sporting de Portugal (2002-2003), Manchester United (2003-2009 y 2021-Presente), Real Madrid (2009-2018), Juventus (2018-2021)
わずか1年で赤い悪魔へ加入
2022年3月13日にキャリア通算得点記録を更新したクリスティアーノ・ロナウドがスポルティング・リスボン(ポルトガル)でデビューしたのは2002年8月14日(1985年2月5日生まれ)。アカデミー時代からビッグクラブの熱視線を浴びていたこのポルトガル人プレーヤーは、2003年8月に行なわれたマンチェスター・ユナイテッドとの親善試合で当時の指揮官、サー・アレックス・ファーガソン(1986-2013シーズンに指揮)の心を鷲掴み。デビューからたった1年で『赤い悪魔』の一員となった。まだ18歳だったC・ロナウドの移籍金は1800万ユーロ(約24億円)。イングランドのクラブが10代の選手獲得にかけた移籍金としては当時の最高額だった。
しかしその後も「多額の移籍金も安い」と思わせるようなパフォーマンスで歴代の監督たちを魅了している。
「彼の監督を務められたのはキャリアにおける最高の出来事だった。彼は、私が会った中で最もプロフェッショナルなサッカー選手だ」
そう語ったのはレアル・マドリード時代の監督、ジョゼ・モウリーニョ(2010−13シーズンにR・マドリードを指揮)である。
以下、C・ロナウドの公式戦での得点記録である。
スポルティング・リスボン(5ゴール)
マンチェスター・ユナイテッド(142ゴール)
レアル・マドリード(450ゴール)
ユベントス(101ゴール)
ポルトガル代表(117ゴール)
通算1121試合に出場して815ゴール(1試合平均0.73ゴール)を記録している(記録は2022年6月6日現在)。
※この原稿では『Wyscout』のゴール分析を使用している。
変身:翼から「9」になる
1985年2月5日生まれのC・ロナウドは地元の『CFアンドリーニャ』でプレーを始め、1995年から1997年までは『ナシオナル』に所属。1997-98シーズンから名門スポルティング・リスボンのアカデミーに移り、順調にキャリアをアップさせていった。当時の彼は身体能力を活かしたバイシクルキックなどのアクロバチックなプレーとシザース・フェイントをはじめとする多彩なドリブルがウリ。俊敏、いやむしろ爆発的な走力に恵まれたウイングとして注目されていた。
当時の彼は発展途上の選手だった。それでも、スポルティングのラスロー・ベレニ元監督(2001-03シーズンに指揮)は2002-03シーズン、C・ロナウドをスターティングイレブンに定着させ、ウイングのポジションを与えた。もっとも、2002年10月7日のデビュー戦(対モレイレンセFC)では2得点。クラブ最年少得点記録を更新しているのがいかにも彼らしい。
ベレニは回想する(『マルカ』紙より)。「アカデミーではセンターフォワードとしてプレーしていましたが、右ウイングとしてプレーさせることにしました。当時の彼は体重60キロ。相手に体を預けてプレーすることや100キロのセンターバックと競り合いはとても困難と判断したからです。ウイングであれば、スピードと素晴らしいドリブルを活かして活躍できると思いました」
⚫スポルティング・リスボン (2002-03)
・31試合出場5ゴール・1試合あたり0.2ゴール
2003年にイングランドへ渡ったC・ロナウドはマンチェスター・ユナイテッドの戦番号7を背負ってプレー。ゴール・ゲッターとしての才能を開花させるのはもう少しあとのことになる。
2003-04シーズンの彼は「4-4-2」システムの右サイドハーフとしてプレー。リーグ戦では2003年10月1日のポーツマスFC戦で初ゴールをマークし、通算では15試合出場4得点だった(FAカップで2得点)。
2004-05シーズンも主戦場は右サイドハーフ。前線にはファン・ニステルローイとウェイン・ルーニーという実績十分な2人が並んでいた(リーグ戦で5得点、FAカップで4得点)。
2005-06シーズンも2トップの顔ぶれは変わらなかったが、右サイドハーフのC・ロナウドは得点力開花を予感させる。リーグ戦で9得点、リーグ・カップで2得点、そしてUEFAチャンピオンズリーグの予選でも1得点を記録した。
そして迎えた2006−07シーズン、彼は飛躍。ポジションは主に右サイドハーフだったが、FWルーニー(14点)を上回る17得点をリーグ戦で奪った(FAカップで3得点、チャンピオンズリーグでも3得点)。
とどまることを知らないC・ロナウドは2007-08シーズン、プレミアリーグとチャンピオンズリーグ(8得点)で得点王の座を射止める(両大会で優勝)。このシーズン、マンチェスター・Uはプレミアリーグ優勝を手にしているが、チームの総得点は80。約39%に相当する31ゴールを重ねたC・ロナウドの貢献は計り知れないほど大きかった(FAカップで3得点)。
赤い悪魔でのラストとなる2008-09シーズンはプレミアリーグで優勝、そしてチャンピオンズリーグでも準優勝。決して悪い戦績ではないが、チームの重心は守備にあった。右だけでなく、センターフォワードや左ウイングにも入ったC・ロナウドだが、チーム状況に引っ張られるように数字を減らし、リーグ戦で18得点、すべての大会を合わせても26得点に終わった(FAカップで2試合出場1得点、リーグ・カップで4試合出場2得点、チャンピオンズリーグで12試合出場4得点、クラブ・ワールドカップで2試合出場1得点)。
C・ロナウドが、マンチェスター・U時代にゴール数を伸ばせたのは、心構えとプレーの大きな変化が大きな理由だろう。レネ・メウレンステーン(2007-13シーズンまでアシスタントマネージャー)が明かしている。
「若くして最高のフォワードになっていましたが、生産性は十分ではありませんでした。もっとゴールを決めてもらう必要がありましたし、本人もそれを望んでいました」
さらに彼は続ける。
「まずは理解してもらうことから始めました。どうすれば、現在地から彼が望む場所へと登れるのかを認識することが必要でした。目標やゴールを設定することの重要性にも触れました。目的を明確にし、それを達成するために戦略を練る人はより大きな成功を収められると説明しました。彼は、自分が望むものに近づくためなら、どんなことでも受け入れられるのです」
一方、2008-09チャンピオンズリーグの準決勝第2試合(対アーセナル)で2ゴールを決めたC・ロナウドは試合後に言っている。
「センターフォワードでのプレーは好きではありません。でも適応しなければなりませんでした。スポルティング・リスボンに加わった10年前の自分とは違います。マンチェスター・Uでも、ドリブルやクロスを担当する純粋なウイングでしたから……。しかし時間とともに、別の角度からサッカーを見るようになりました。時には『9番』のように見えるもかもしれませんが、私は9番ではありません。ピッチの上で自由でいたいのです」
⚫マンチェスター・ユナイテッド(2003-2009)
・292試合出場118ゴール得点・1試合あたり0.4ゴール
フィニッシャーとして進化
マンチェスター・Uでも高い得点能力を見せつけてきたC・ロナウドだが、2010-11シーズンから加入したレアル・マドリードでは誰も予想しなかったようなゴールの山を築くことになる。
R・マドリード移籍時のマヌエル・ペジェグリーニ(2009-10シーズンに指揮)は「4-2-3-1」システムを採用し、C・ロナウドを左のサイドハーフとして起用(センターフォワードはラウル・ゴンサレス、カリム・ベンゼマ、ゴンサロ・イグアインなど)。左サイドからダイアゴナル・ランでペナルティーエリアに入って得点を奪った(下写真)。リーグ戦での26ゴールはイグアインよりも1つ少なかったが、シーズンを通じては33ゴールを決めてチーム最多得点者となった(チャンピオンズリーグで7得点)。また、半数近い16ゴールをワンタッチで決め、フィニッシャーとしての進化が垣間見える。
2010-11シーズン、世界屈指のフィニッシャーへ変貌しつつあったC・ロナウドの前にジョゼ・モウリーニョが現れる。また、リオネル・メッシとのライバル関係が彼のゴール・ラッシュを後押ししたという意見もある。
モウリーニョも前任者と同じく、「4-2-3-1」システムを採用してC・ロナウドを左サイドハーフとして起用。オリジナル・ポジションからゴール前に出現し、リーグ戦では34試合に出場して40得点をマーク。シーズン通算では54試合出場53得点とし、リーガ・エスパニョーラの得点王だけでなくヨーロッパ最多得点者にもなった。
モウリーニョの下で彼はゴールを量産し続ける。
2011-12シーズンにはリーグ優勝に大きく貢献。38試合に出場して46得点を決め、21点のベンゼマや22点のイグアインの倍以上のゴールを生み出した。得点王になったチャンピオンズリーグでの10点などを加えると、シーズン通算では55試合出場60得点という破格の数字を残した。
2012-13シーズンのR・マドリードはノンタイトルに終わるが、C・ロナウドはネットを揺すり続けた。シーズン通算で55試合出場55得点。しかも、コパ・デルレイで7試合出場7得点、チャンピオンズリーグで12試合出場12得点、その他のカップ戦でも2試合出場2得点としてすべての大会で1試合あたり1得点、まさにゴール・マシンと言うべきデータも残した。
そして2013-14シーズンから指揮官がカルロ・アンチェロッティ(2013-15シーズンに指揮)となっても彼のパフォーマンスは変わらなかった。昨シーズンよりは減らしたとは言え、51ゴール(47試合出場)。チャンピオンズリーグでは凄まじいゴール・ラッシュを披露した。
強者が集うこの大会で11試合に出場して17ゴールを集め、R・マドリードの10回目のヨーロッパ制覇に大きく貢献した(なお、リーグ戦では30試合出場31得点、コパ・デルレイでは6試合出場3得点)。
そして2014-15シーズンの彼は、自身のシーズン最高得点数を叩き出す。54試合に出場して奪ったゴールは61(R・マドリードのシーズン最多得点記録でもある)。リーグ戦35試合で48得点、コパ・デルレイ2試合で1得点、チャンピオンズリーグ12試合で10得点という内訳だった。さらに細かく見ると、総得点の85%がワンタッチ・ゴールであり、90%のゴールをペナルティーエリア内で決めており、これらの数値はまさにストライカーのそれと言っていいだろう。
カリム・ベンゼマの好相性
途中で31歳となった2015-16シーズン、2年目の2010-11シーズンから保ってきた記録が途切れる。それはリーグ戦での1試合平均1得点以上。このシーズンは36試合出場して35得点に終わったのだ。もっとも、チャンピオンズリーグでは12試合に出場して16得点を決め、シーズン通算では48試合出場51得点と1試合平均1得点以上を維持した。
依然としてトップレベルを維持していたC・ロナウドだが、スピードに関しては若干の衰えが見えた。それを察知したジネディーヌ・ジダン監督(ラファエル・ベニテスの後任として2016年1月に就任。2016-18シーズンに指揮)は機動力と連係プレーに長けたカリム・ベンゼマ(下写真。9番のBenzema)を彼の近くに配置。ベンゼマとの関係性を深めることによってC・ロナウド(7番のC.Ronaldo)の得点力を引き出そうとした。
実際、2015-16シーズンのベンゼマはキャリアハイとなる24ゴール(リーグ戦)を奪ったが、以降、C・ロナウドがクラブを去るまでの2シーズンは11得点、5得点と低下。C・ロナウドの移籍以降、ベンゼマがリーグ戦で21、21、23、27とコンスタントに得点していることからも、ベンゼマがC・ロナウドの得点を下支えしていたことが伺える。
一方、ベンゼマのバックアップを受けたC・ロナウドも得点は重ねた。
2016-17シーズン:42得点(リーグ戦29試合出場25得点、コパ・デルレイ2試合出場1得点、チャンピオンズリーグ13試合出場12得点、FIFAクラブ・ワールドカップ2試合出場4得点)2017-18シーズン:44得点(リーグ戦27試合出場26得点、チャンピオンズリーグ13試合出場15得点、スペイン・スーパーカップ1試合出場1得点、FIFAクラブ・ワールドカップ2試合出場2得点)
彼が、9シーズンで積み上げたゴールの山は信じられないほどの高さに達した。ラウルの323得点(741試合出場)を上回っただけでなく、1試合平均ではラウルが記録した0.4得点の遥か上をいく1.02点をマークしたのだ。
⚫レアル・マドリード(2009-18)
・438試合出場450ゴール・1試合あたり1.2ゴール
衰えを知らない野心
R・マドリードで驚異的な数値を残し、2018年の2月に33歳となったC・ロナウドには少しレベルを下げて新しい戦場を探すという選択肢もあったが、彼の競争心が衰えることはなかった。新天地はイタリア。アタッカー受難のリーグ、セリエAで力を試すことを選んだ。
2018-19シーズン、マッシミリアーノ・アッレグリ(2014-19シーズンに指揮)が率いたユベントスにおいて、主に3トップの左ウイングに入った彼はリーグ戦で31試合に出場して21得点。初挑戦ながら、1位と5点差の得点ランキング4位につけた(チャンピオンズリーグで9試合出場6得点、イタリア・スーパーカップで1試合出場1得点)。また、チャンピオンズリーグのベスト16(対アトレティコ・マドリード)でハットトリックを決め、第1試合の0−2から2試合合計3-2として強いインパクトを残している。
2019-20シーズンはマウリツィオ・サッリ(2019-20シーズンに指揮)に監督が代わり、2トップの一角を占めることが増えた彼はストライカーとして本領発揮。適切なタイミングでゴール前に進入し、シーズンに記録した37得点のすべてをペナルティーエリア内で決めた(下写真)。なお。1シーズンでの37得点はユベントスの最多記録である。
2020-21シーズン、アンドレア・ピルロ(シーズン後に解任)が監督に就任したユベントスはリーグ戦で4位に沈んだが、C・ロナウド(7番のC.Ronaldo)は好パフォーマンスを維持。33試合に出場して29得点を決め、イングランド、スペインに続いてイタリアでも得点王の座を手にした(コッパ・イタリアで4試合出場2得点、チャンピオンズリーグで6試合出場4得点、イタリア・スーパーカップで1試合出場1得点)。初の3大リーグの得点王として名前を刻んだ。
3シーズンで134試合に出場した彼が積み上げたゴールは101(2012-22シーズンは1試合で移籍)。1試合平均0.7得点という数字は、クラブの通算最多得点者であるアレッサンドロ・デルピエロ(0.41/705試合出場290得点)、オマール・シボリ(0.65/317試合出場168得点)、ミシェル・プラティニ(0.47/222試合出場103得点)、ロベルト・バッジョ(0.58/200試合出場115得点)など、ユベントスの歴代アタッカーを上回っている。
⚫ユベントス(2018-21)
・134試合出場101ゴール・1試合あたり0.7ゴール
2021年2月5日に36歳を迎えたC・ロナウドは、セリエA得点王という名誉を携え、2021-22シーズンからマンチェスター・Uに復帰。しかし、赤い悪魔には依然のような強さはなかった。8シーズンもリーグ制覇から遠ざかっていたのだ。それでも、彼は記録を伸ばし続けた。
マンチェスター・Uでの持ち場はセンターフォワード。端的に言えば、相手ペナルティーエリア内が職場であり、ゴールまでのラスト1メートルを仕上げるのが役割だった(下写真)。そうした彼を支えたのがブルーノ・フェルナンデス、ポール・ポグバ、ジェイドン・サンチョなど、インサイド・チャンネルで才能を発揮する選手だった。
ただし、持ち場に縛りつけられていたわけではない。左サイドにスライドしてからダイアゴナル・ランでインサイド・チャンネルを攻略するプレーも健在。とりわけポジティブ・トランジションでは左の低いエリアからインテリジェンスとパワフルなランを発揮して若きC・ロナウドを思い出させるようなフィニッシュも見せた(上写真)。また、2022年4月16日には今季2度目のハットトリックを達成。現役選手で最多となる通算60回目のハットトリックだった(下図は2021-22シーズンにおけるC・ロナウドのプレー・エリア)。
2021-22シーズン:38試合出場24得点(リーグ戦30試合出場18得点、チャンピオンズリーグ7試合出場6得点)
⚫マンチェスター・ユナイテッド(2021-現在)
・38試合出場24ゴール・1試合あたり0.6ゴール
ゴールに関する数々の記録を打ち立ててきたクリスティアーノ・ロナウドも37歳。常識的に考えれば、ゴールを量産するには難しい年齢だ。スピードもパワーの全盛期には及ばないだろう。しかし彼は信じられないほどのゴールを決めてきた。常識では測れないのがクリスティアーノ・ロナウドでもある。今後、より効率的な新しいストライカー像を打ち立てるのかもしれない。
翻訳:The Coaches’ Voice JAPAN編集部