ダビド・ベットーニ
ヘッドコーチ(レアル・マドリード)、2016-2018&2019-2021
「悪い結果はジズーにも影響を与えました。メディアから批判を受け始め、時に言われのない中傷も受けました」
そういったことが、「レアル・マドリードを去る」という彼の決断に少なからぬ影響を与えたように思います。彼は一年を通じて本当に辛そうでしたから……。
当時、「レアル・マドリードには多くのプレッシャーがあり、精神的にすり減らされる」という彼の言葉を思い出していました。そして彼はふと漏らします。
「今シーズンがどのように終わるにしても、どうやって次のシーズンを迎えることができるんだろう?」
そうは言っても彼は、チームを良くする方法を探し求めていたと思います。
シーズン終了の少し前、決断を告げられました。
「チャンピオンズリーグに勝っても負けても、休まなければならない」
とても自然な決断でした。ヘッドコーチである私は彼の決断を尊重しましたし、そうするべきだと思いました。
レアル・マドリードでプレーしたことのあるジズーは、もう一つ重要なことを言っていました。
「マドリードの選手は、新しい監督と出会い、新しいスピーチを受け、新しい方法でプレーしなければならない」
「選手たちに勝ち続けてほしい」と考えた時、「自分は続けるべきではない」と思い当たったのでしょう。彼の謙虚さを物語る決断でもあります。
「3度目のチャンピオンズリーグ優勝は最も美しいものでした」
さまざまな困難を乗り越え、我々はリバプールとのチャンピオンズリーグ決勝にたどり着きました。
決勝には進みましたが、それまで味わったこともない大きなプレッシャーを我々は感じていました。コパ・デル・レイとリーガのタイトルをすでに失っていたからです。
決勝まで数日となった時、グループをリラックスさせるための方法を考え、バスケットボールを選びました。バスケットボールを好む選手が多くいたため、バルデベバスにあるバスケットボール施設に行って試合に興じました。我々は、「フィジカル的な準備も大切だが、心の準備が最も大切」ということを伝えたかったのです。
選手たちはプレッシャーを忘れ、素晴らしい時間を過ごしました。
そして数日後、我々はチャンピオンズリーグ3連覇(試合結果は3-1)を果たしました。最も美しい瞬間だったと思います。
ジズーはフロレンティーノ・ペレスと共に記者会見に臨み、レアル・マドリードからの退団を発表しました(2018年5月31日)。
私たちが最初に考えたのは、家族と共に過ごして休養することでした。しかしながら、それは長く続きません……。
チームを離れ、多くの試合を見ました。あの時ほど時間的な余裕があったことはありません。そしてジズーとは、毎月のように会って「我々のトレーニング・メソッドをより良くするにはどうしていくべきか」を話しました。
フットボールは常に進化します。我々が指導者として進化し続けるための一つの方法が多くの試合を見ることでした。違った環境と視点から試合を見ると多くの気づきがあり、多くの考えるきっかけを得られるのです。
「それでもジズーはレアル・マドリードに戻ることを決意したのです」
しかし2019年3月、我々はレアル・マドリードへ戻ります。
実は、彼の決断は予想外でした。ジズーにはヨーロッパの別のクラブを指揮する計画がありましたし、彼は他のクラブで指揮を取りたがっていると思っていたからです。
驚きましたが、彼の決断理由はとてもシンプルでした。
「我々が必要なんだ。クラブも、そして選手たちも」
この挑戦が1回目よりもずっと困難なものになるのは明らかでした。それでもジズーは就任を決意したのです。
我々がチームに合流したのは2019年の3月。リーガ・エスパニョーラでは首位のFCバルセロナから大きく放された3位、コパ・デル・レイとチャンピオンズリーグで敗退したチームは目標を失っていました。しかも、第1次政権で神がかり的なパフォーマンスでチームを救ってくれたクリスティアーノ(2017-18シーズン後に移籍)も不在……。
残りの試合は、競争力を保ちながらも、翌シーズンに向けた準備期間にあてるのが妥当でした。
まず着手したのはチーム戦術の見直し。勝ち続けるための「最適なバランス」を見いだすことが必要でした。第1次政権にいた「1人で50得点を保証する選手」がいないわけですから、以前と同じ戦い方はできません。例えば、1期では許していた「両サイドバックが同時に上がること」を封じ、「状況に応じて一方の選手がバランスを取るために残る」と変更しました。そして守備ブロックの設定ラインも深くし、前方にスペースを残した上でカウンター攻撃を磨くことにしたのです。
「我々にとっての失敗はチャレンジしないことでした」
切り替えて迎えた2019−20シーズン、誰もが予想しなかった出来事に見舞われます。『パンデミック』です。
リーガ・エスパニョーラは2カ月以上も中断され、28節からの残り11試合を1カ月余りで消化することになりました。我々はすべての計画を練り直しました。選手たちのフィジカル・コンディションがどのようになるか予想さえできない状況でしたが……。
2位でリーグ再開を迎えるレアル・マドリードには「チャンピオンズリーグ決勝を戦う意気込みで残りの11試合に臨む」という覚悟が必要でした(首位はFCバルセロナ)。逆転優勝にはすべての試合に勝たなければならなかったのです。そのためにはフィジカル・コンディションが万全である必要があった。ですからコーチングスタッフはできる限りの準備を整えて「再開後」に挑みました。
タイトル獲得には、ミスは許されなかったのです。
我々は見事に乗り切りました。10連勝して最終節は引き分け。我々は素晴らしい準備にふさわしい「勝利」を手にしたのです。
しかしながら、2020-21シーズンは困難を極めました。最適なプランを最後までも見いだせませんでした。私の記憶が正しければ、ケガ人が続出し、1試合として同じメンバーで試合に臨めなかった……。
そうした厳しい状況だからこそ、私たちは多くを学んだとも思います。
さまざまなシステムを使いこなさなければならなくなり、指導者として大きく成長できました。不慣れな3バックを取り入れたり、『カンテラ』(育成部門)の若手を抜擢したり、と多くのことにチャレンジ。毎試合違った方法で、チームの最大値を求めて試行錯誤したのです。
「自分のリーダーシップに自信がありますし、人間力やプレー・アイデア、そしてレジリエンスを有しています」
レアル・マドリードにとって無冠のシーズンは失敗を意味します。しかし、我々にとっての失敗はチャレンジしないことでした。困難な状況でも最後までタイトル争いから脱落しませんでしたし、シーズンが終わった時、私はポジティブな感覚を持っていました(2020-21シーズンは2位)。
個人的にも大きな出来事がありました。ジズーがコロナに感染したため、数日の間、私がチームを指揮したのです。喜ばしい原因ではありませんでしたが、とてもいい経験を得たと思います。トレーニングを含め、チームをマネジメントする能力が私にはあると確認できたからです。
その後、休養に入ることを決めたジズーから言われました。
「君は監督を続けるべきだ。ふさわしい力があるし、多くの戦術的な知識もある。そして、選手をコントロールする術も持っている。レアル・マドリードの選手たちと素晴らしい関係を築いたじゃないか。それは簡単なことではない」
そして私の中で、監督という職業が現実味を帯びてきました。
2021年の夏以降、自分にエネルギーが満ちているのを感じ、新しい一歩を踏み出したいと考えています。私は自分のリーダーシップに自信がありますし、人間力やプレー・アイデア、そしてレジリエンス(重圧をはね返す力)を有しています。フットボール界では日々、大きなプレッシャーにさらされます。幸運なことに、ジズーのおかげもあって私は最高レベルの重圧を経験できました。
「監督になりたい」という決意を最初に伝えたのはジズーです。
機は熟し、すでに準備はできています。
翻訳:石川桂