ガレス・サウスゲート
イングランド代表, 2016-現在
突然のことでした。
家族と休暇を楽しみながら、2005-06シーズンにケリをつけて次のシーズンのことを考え始めていた時のことでした。ミドルスブラのスティーブン・ギブソン会長から電話がかかってきたのです。
「監督を引き受ける気持ちはあるか?」
それほど驚くことではなかったかもしれません。まず私は、コーチング・コースの受講を始めていました。そして、スティーブ・マクラーレン前監督がイングランド代表の監督になるために辞任した際(2006年6月に退任)、会長から「誰が後任になっても、将来の監督候補として監督業を学んでもらう可能性がある」と聞いていたからです。
コーチング・スタッフの一員になれるかもしれないし、スタッフ・ミーティングに参加できるかもしれない――。当時の私にとって、それはトライしてみたいことでした。
私は36歳になろうとしていましたが、ミドルスブラとの選手契約はあと1年残っていました。2005-06シーズンにも30試合ほど出場していたのです。ですから、会長の申し出を想像するのは簡単ではなかったと思います。
たった1つのことを除けば……。
実は、マクラーレンの後任に据えたい人物とクラブは契約できなかったのです。だから私に電話してきたのです。
だとしても、素晴らしいチャンスだと思いましたし、2度とないチャンスかもとも思いました。しかしその後は、ストレスとの戦いでした。
突然、しかも一気にいろいろなことを学ぶことになりました。会議を含め、すべてのことが私には真新しい経験でした。そうしたことに向けた準備など、1つもしていませんでした。
経験不足は隠しようがありませんでした。しかし幸運にも私の周囲には、スティーブ・ハリソンやマルコム・クロスビーといった経験豊富なコーチがいて、よく助けてくれました。彼らのサポートがなければ、きっと大変なことになっていたでしょう。
「人生最大の功績であることに疑いの余地はありません」
新監督には、乗り越えなければいけない障害が1つあります。それは、「何が効果を発揮するのか、分からない」ことです。確かに頭の中には、解法に近い考えがありますが、実際にそれが機能するのか分かりません。証拠(経験)がないからです。
周囲の者から常に能力を計られ、すべての決断が疑問視されます。しかも、「正しいのか?」と自問自答する自分もいる……。
「このようなトレーニングをするべきなのか?」、「これほど厳しいトレーニングをするべきなのか?」、「この選手と契約したほうがいいのか?」
経験を積み重ねないと、監督として周囲の人間を説得するのは簡単ではありません。ですから、育成年代の選手と働くことで人の学び方、適した指導方法を学び、その上で、「選手にしてほしいプレーを整理し、それをピッチ上でどのように表現するか」を理解していくのが監督としてのより良い過程だと思います。
この過程を経てこそ、選手の獲得や移籍市場での振る舞い、そしてメディアへの対応やクラブの運営へと守備範囲を広げられるのです。
今でも、「(ミドルスブラの監督を)引き受けたのは良い判断だったのか?」と自問自答することがあります。正解は出ませんが、1つだけ言えるのは、より良いキャリア・パスはあったということです。
それでも、2006-07シーズンは12位、2007-08シーズンは13位。ミドルスブラの歴史を振り返った時、これよりも上位でフィニッシュしたシーズンはさほど多くありません。
すべてのことが未経験であり、ストレスばかりの時期でしたが、2年間、チームをプレミアリーグに残留させられたのは、私の人生最大の功績であることは間違いないでしょう。
本当に奇跡のような出来事でした。
それだけに、2008-09シーズンに降格(19位)させた時には心が折れそうでした。ミドルスブラがプレミアリーグにない事実を背負って生きていくこと、そしてクラブでの時間をこれほどひどい状況で終えたのは心残りでしかありません。
そして、「私のミドルスブラでの日々をひどいものだった」と多くの人々が記憶するのだろうとさえ思ったのです。
「なぜなら、選手経験のある監督は彼らが直面すると思われる困難をすでに経験しているからです」
それでも、とても多くのことを学べました。これから起こるであろうことに対して監督としてより良い準備ができたことに疑いの余地はありません。
2016年にU-21イングランド代表の監督からイングランド代表の監督になったことに大きくステップアップしたと感じた方も多いでしょう。しかし個人的には、ミドルスブラの選手から一夜にして監督になったのと同じくらいという気もするのです。
ただし私は、選手としてのキャリアが監督にとって無用とは考えていません。むしろ、選手キャリアは大きなアドバンテージになると思うのです。ただし、監督や指導者としての勉強をしっかりした上でこそ、役に立てられるのです。
まず、コーチング方法を学ばなければいけません。そして、「人はどのように習うのか?」、「自分の考えをどのように理解してもらうか?」も理解する必要があります。
その上で、選手たちにしてほしいプレーを明確にする必要があります。そして、そのために必要なトレーニングをピッチで実施するのです。
こうしたことをマスターしたならば、選手への指導にプレー経験を役立てられます。その時であれば、プレー経験を持たない監督にはできない方法で選手を導いたり、束ねたりできるかもしれません。なぜなら、選手経験のある監督は彼らが直面すると思われる困難をすでに経験しているからです。
私は、自分のプレー経験を選手に押しつけたりはしません。ただし、「私もそうだったから、あなたの気持ちが分かるよ」と選手に寄り添える可能性はあります。その点では、選手経験は強みになるでしょう。
繰り返しになりますが、監督や指導者としてひとり立ちできていなければ、現役時代の話に誰も興味を示してくれないでしょう。
やはり、プレー経験を持っていることは私にとってはラッキーだったと思います。
1996年、私は信じられないような経験をしています。母国で開催されたEURO1996で地元サポーターと共に心を揺さぶられるような瞬間を共有できたからです。
当時の私は国際経験の浅い若手選手でした(1995年12月代表デビュー)が、素晴らしいコーチング・スタッフと一緒に働けたことを誇りに思っています。テリー・ベナブルズ監督だけでなく、ドン・ハウやマイク・ケリーなど、スペシャリスト揃いのスタッフでした。また、アシスタントコーチだったブライアン・ロブソンがスタッフと選手の橋渡し役を果たしてくれ、とても助かりました。
しかも、所属チームでキャプテンを務める選手が5、6人いました。人格者ばかりだったのです。そういうチームだったからこそ、選手も監督も意見交換をスムーズにでき、アイディアを取り入れやすかった。ですから、戦術浸透度の高いチームをつくり上げられたのです。
「『突然のこと』に遭遇しても、それに対処できるだけの経験を私は積んできたと自信を持って言えます」
25歳と比較的若い私から見れば、当時のチームは成熟し、優れたリーダーシップだけでなく、技術的にも優れた選手の集まりでした。
先ほども言いましたが、素晴らしい思い出ばかりです。しかし、美しい面ばかりではありません。
特に私にとっては、準決勝のドイツ戦で迎えたPK戦が残酷な終わり方だったこと……(1-1からPK戦に突入。5人全員が決め、6人目に登場したサウスゲートは失敗。敗れた)。
私はあの夜、幸運の持ち主とは言えなかったでしょう。しかしその後、何年もの月日を費やして立ち直ったことは、監督としての私のキャリアに欠かせないものだと断言できます。
特に、イングランド代表を率いる者には。
私には、「可能なこと」が分かっています。
今では、「何が効果を発揮するのか」に対する証拠やいくつかのチームで経験したシナリオを持っているため、説得力ある説明が可能です。そして今後、起こり得る多くのことに監督が動じないのは、チームの強みになるはずです。
そして、「突然のこと」に遭遇しても、それに対処できるだけの経験を私は積んできたと自信を持って言えます。
今までやってきたすべてのことは、そのための準備なのです。