ジャンフランコ・ゾラ
ウェストハム・ユナイテッドFC
(1966年に)イタリアで生まれた私は、「相手の攻撃を阻止するのがサッカー」という環境で育ちました。
自分たちのプレーに対する関心が薄く、「相手にゴールを奪われない」、それだけを考えていたのです。それが、当時のイタリア流でした。
私は、その哲学を尊重しましたし、「イタリア流サッカー」(かつては『カテナチオ』と呼ばれて守備重視)で多くの成功を手にしたのも事実です。しかし同時に、相手の動きばかりに注目し、自由を失っているようにも感じていました。そういうサッカーでは、クリエイティビティーも失われます。
現役時代の私は(上写真)は、「ゴールを決めること」、「ドリブルでディフェンダーを抜くこと」、そして「味方のためにチャンスをつくること」に腐心していました。
そういう気持ちをチームメイトと共有したいと思っていました。そして、指導者の道に進んだ時、私には大切にしたいことがありました。それは、「常にボールを保持する」、「ゲームをコントロールする」、「ゴールを奪う」です。
強い尊敬の念を抱いている監督が2人います。ジョゼップ・グアルディオラ(以下、ペップ)とズデネク・ゼーマン(下写真)です。ペップの名は広く知られ、誰もが目標にする現代の名将と言っていいでしょう。一方、ゼーマンの認知度はさほど高くないでしょうが、イタリア・サッカー界に大きな影響を与え、私が多大な影響を受けた人物です。
「指導者になってゲームを深く研究するようになったとき、戦術の重要性に気づいた」
1947年にチェコスロバキア(現在のチェコ)で生まれた彼は1968年にイタリアへ渡り、50年近くも監督を務めました。彼の戦いぶりは、守備を重視するイタリアにあって異色を放っていました。
「イタリアとは正反対」と言ってもいいでしょう。彼の目指したのは攻撃的サッカー。選手は能動的なプレーを披露し、ピッチ上にトライアングルを描きました(ゼーマンは「4-3-3」を好んだ)。1984年にプロとなった私はゼーマンのサッカーに強く惹かれ、引退すると「彼のサッカー哲学を取り入れたい」と考えていました。
現役時代の私は、勝利に必要なのは「技術的に相手より優位」、「相手よりスピーディー」、「相手よりクレバー」ということだと考えていました。
しかし、指導者となってゲームを深く研究するようになると、選手の能力を可能な限り引き出すためには「戦術が重要だ」と気づいたのです。現役時代の私は、ピッチ上で数的優位にすることの重要性さえ理解していませんでした。しかし、指導者になって考えを改めました。
「考えを改めることが指導者としての最初のチャレンジだった」と言ってもいいでしょう。現役時代の私は、監督になることを想像したこともなく、ただ自然にプレーして楽しんでいただけでした。しかし指導者となった私は、選手たちが生き生きとプレーできる状況をつくるためにも戦術の重要性を理解しなければいけないと考えるようになったのです。
「チェルシーに長く在籍していた私をウェストハムのサポーターが歓迎しない可能性があった」
デメトリオ・アルベルティーニ(元イタリア代表)からの電話を受けたのは引退1年後(2005年に引退)。イタリア・サッカー協会の副会長だった彼は、U―21イタリア代表のピエルルイジ・カシラギ監督(元イタリア代表)のアシスタントをしないか、と提案してくれたのです。
意外な提案でしたが、ピエルルイジという素晴らしい友人(下写真)との仕事に心強さを感じました。そして、指導者としての一歩を踏み出すのです。
2008-09シーズンからウェストハムを率いることになりますが、当初は「歓迎されないかもしれない」と考えていたのです。『ロンドン・ダービー』を戦う間柄のチェルシーで私が長くプレーしていたからです(1996-2003シーズン所属)。ライバルの一員だった私をサポーターが受け入れてくれるのだろうか、と訝ったのです。
しかし、そんな思いはまったくの杞憂に終わりました。ウェストハムのサポーターは私を歓迎してくれましたし、素晴らしい関係を築けました。
「私の考える完璧なチームでは、若さと経験のバランスがいい」
サポーターは、チームのプレーを気に入ってくれれば、全力で応援してくれるものです。幸運にも、ウェストハムのサポーターは私のサッカーを気に入ってくれ、全面的に応援してくれました。
特に就任初シーズン(2008-09)は、サポーターの期待に応えられるサッカーを見せられたと感じています(プレミアリーグ9位)。しかも選手は、ファンが期待するようなスピリットを披露してくれました。
また、難しい状況もあったでしょうが、アカデミーから引き上げた選手たちがいいプレーを見せてくれたこともプラスに働きました。
若い選手の起用は、私にとって非常に重要なポイントです。私は、「完璧なチームは、若さと経験のバランスがいい」と考えています。なぜなら、若い選手は経験豊富なベテランを追い越そうとしますし、ベテランも若い選手にポジションを奪われないように努めます。いい競争はチームに必要なものなのです。
ウェストハムのアカデミーは周囲から高い評価を受けていましたし、私はそれを実感しました。ウェストハムのアカデミー出身選手はクオリティーが本当に高かった。その点、私はラッキーでした。
「短期的な結果を求めるワトフォードに適応しなければならなかった」
ジャック・コリソン(下写真)もアカデミー出身者の一人。ジュニア・スタニスラスやジェームズ・トムキンスらもとても優秀な選手であり、素晴らしいプロフェッショナルだった。
彼らは、トップチームでの生活にすぐに順応してくれ、私は本当にいいサッカーを実践することができました。
プレーの水準を高められ、しかもアカデミー出身者が活躍してくれたため、ウェストハム・サポーターとの絆は深まった。そういう信頼関係は、「私がベスト」と考える方法を採用する時の後押しになりました。例えば、新たなことにチャレンジしたり、新たなことを導入したりするための猶予を得られます。ある種の挑戦には時間が必要なのです。
ワトフォードFC(当時は2部。2012-13シーズンに指揮)では状況が異なり、基本ポリシーさえも全く異なっていました。必ずしも悪いとは断言できませんが、ワトフォードで求められたのは短期的な結果。監督である私は、その指針に従わなければいけませんでした。
オーナーに就任したばかりのイタリア人、ジャンパオロ・ポッツォは独特な考えの持ち主でした。例えば、彼が同じくオーナーを務めるウディネーゼ(イタリア)やグラナダ(スペイン)から期限付き移籍で次々と選手を加入させたのです。
いろいろな意見もあるでしょうが、選手を集められること自体は戦力強化につながります。大きなメリットと言えるかもしれません。
「ヴィカレージ・ロードは大爆発した。あんな光景は見たことがない。今、思い出しても身の毛が逆立つ」
一方で私は、期限付き移籍でやってきた選手と既存戦力を素早く融合させる必要性に迫られました。いや、落ち着いて取り組む猶予はなった、と言うべきかもしれません。選手にしてみれば、イングランド特有のアップ&ダウンの激しいサッカーに馴染むのは簡単ではありません。融合と順応が喫緊の課題でした。
無論、ネガティブな面ばかりではありません。マテイ・ビドラ、フェルナンド・フォレスティエリ、ナサニエル・チャローバなど、たくさんの有望選手がいました。一方で、ロイド・ドイリー、フィッツ・ホール、ナイロン・ノスワージー、マルコ・カセッティなど、経験豊富な選手の存在は心強くもありました。ベテランたちは、若い選手がイングランド・サッカーに馴染むための手助けをしてくれたのです。
私が大切にする「若さと経験の融合」がポジティブな雰囲気をチームに与えてくれました。グループとしての絆が生まれ、厳しい時期にも団結できた。当時のワトフォードは助け合える集団であり、多くの才能に恵まれたグループだったのです。
ワトフォードでは、プレミアリーグ昇格という目標を果たせませんでした。しかし、選手たちは最初から最後まで素晴らしいプレーを続けてくれましたし、素晴らしい思い出も得られました。
シーズンを3位で終えたワトフォードは『チャンピオンシップ・プレー・オフ』(3位から6位が参加して優勝チームが昇格)に進み、準決勝でレスターを撃破します(2試合合計3-2)。セカンド・レグで、ゴールキーパーのマヌエル・アルムニアがPKをストップし、トロイ・ディーニーがアディショナルタイムに勝ち越しゴールを決めたあの日を一生、忘れないでしょう(上の写真)。興奮に包まれたホームの『ヴィカレージ・ロード』。あんな光景を目にしたことはありませんでした(プレー・オフの決勝で敗退)。
あのような瞬間がフットボールそのもの。一生忘れないでしょうし、今、思い出しても身の毛が逆立つほどです。
あの瞬間が風化することは決してないでしょう。それを生み出したのは我々なのです。
「サッリ監督は、戦術面での要求が非常に多い監督。選手は心身共に疲労するかもしれない」
ウェストハムと同様に、チェルシーでの生活も素晴らしいものだった。どちらのクラブも好きですが、チェルシーは心のチームなのです。
ですから、チェルシーに戻る機会を断ることはできません。
チェルシーは私が最も楽しめた場所。最もサッカーを楽しめたクラブ。コーチとして戻れることを心から喜びました。
2018-19シーズン、私はマウリツィオ・サッリ監督(上写真の右)のアシスタントとしてチェルシーに戻ることになりました。監督ではなくとも、「心のチーム」での日々は充実していました。
マウリツィオからは本当に多くのことを学びました。彼が素晴らしい監督であることに疑いの余地はありません。彼はチームをまとめ、試合に向けた綿密な計画を立て、その計画に沿ってトレーニングを設定できる監督です。
確かに、最初の頃はうまく事が運ばなかったかもしれません。彼の斬新なアイディアに選手が慣れるまで時間を要したからでしょう。彼は選手に非常に高いものを求め、トレーニングでは戦術的なものが多い。戦術的なトレーニングに不慣れな選手は、心身共に疲労したでしょう。
「アシスタントはより冷静に物事を見られます。それは、ゲームをより深く理解するのに役立ちます」
ただしマウリツィオは、プレミアリーグの過酷さを理解するのに少し時間がかかったと感じています。20チームで構成されているために試合数が多く、しかも他リーグよりもレベルが拮抗している。過密日程の中では試合に向けて思うように練習できないこともあります。休養すべき時もあったのです。
シーズン中盤(冬の時期)、いくつかの問題が発生し、不協和音も聞こえ始めました。疲労の溜まった選手たちが、スタッフの実行しようとすることに対して拒否に近い反応を示したこともありました。振り返れば、選手たちの疲労度合いに目を向け、休ませる配慮が必要だったと思います。しかし放置したわけではなく、修正したことで最終的にチームは団結します(プレミアリーグ3位、ヨーロッパリーグ制覇)。
アシスタントという職は私にいろいろな発見をもたらしました。特にマウリツィオのような監督と働くことで多くのことを学べましたし、機会を与えてくれたことには心から感謝しています。チェルシーで得た経験は、より良いコーチや監督になるために役立っています。
例えば、アシスタントは「一歩下がって」いろいろなことを学び、試せます。いい意味で距離を置くことは、ゲームをより深く理解する上で役立ちます。
そして「チェルシーに戻って良かった」と実感できた最大の理由はサポーターの存在。思った通り、彼らは素晴らしい人々でしたし、これからもずっとそうでしょう。私にとって、本当に特別な存在です。
『スタンフォード・ブリッジ』に戻り、いい思い出をさらにつくれたのはこの上ない喜びとなりました。
私とサポーターは素晴らしい絆で結ばれています。
それ以上素晴らしいことなどありません。
翻訳:The Coaches’ Voice JAPAN 編集部