ブレンダン・ロジャーズ
セルティックFC, 2016-2019
多くの人に「勧めない」と言われていた。
プレミアリーグで働くチャンスはあった。大金を稼ぐために中国へ渡る選択肢もあった。
だが、私は生粋のセルティック・サポーター。 クラブの規模やサポーター、そしてチームの求める基準といったものが魅力的だし、チャンピオンズリーグでプレーできることを理解していた。そして何よりも、優勝の可能性を秘めていることを知っていた。
セルティックこそが自分の居場所、そう感じられる私は本当に恵まれている。
2015-16シーズンのことだ。リーグ戦の8試合(3勝3分け2敗)を消化した10月、私はリバプールを去ることになる。
エバートンとの『マージーサイド・ダービー』(1-1のドロー)を終えた日曜の夜に電話が鳴った。上層部は変化を求め、決断を下していた。私はその判断を受け入れ、監督の座から降りることにした。
幸運にも、翌日(月曜)には監督就任のオファーが舞い込んだが、私は断った。シーズン開始からの指揮が望ましいと思ったからだ。
「復帰」を望む一方、現場と距離をおいてリカバリーする時間が必要だとも感じていた。 リバプールにいた時間は本当に素晴らしく、一秒だって無駄な時間はなかったと思う。だが、世界屈指の名門クラブを指揮することは、全てがうまくいっていたとしても、実に過酷だ。精神的に激しく揺さぶられた私にはしばしの休息が必要だった。
「スペインとドバイを旅した私は体調を崩し、病院に駆け込むことになった」
リバプールの日々を検証したいという思いもあったが、エネルギーと笑顔を取り戻すことが先決だった。
それは、生きていく上で必要不可欠なもの。 サッカーの監督、特に当時の私にとってはエネルギーに満ち、ハッピーであることが必要だった。当時の私は両方を失いかけていた。エネルギーがなく、幸せでなければ、いい仕事をできるはずもない。
サッカーから少し離れるべきだと思った。子供たちとゆっくり過ごし、妻と旅に行き、年が明けてからサッカーに戻ることにした。
そして、スペイン旅行から1度戻り、ドバイ(カタール)へ行った私は体調を崩した。病院へ駆け込むことになった。
実に色々な検査を受けた。そして、仕事や生活に関する問診の結果、体調不良は精神的なものと診断された。過剰な緊張によって蓄積されてきた精神的な疲労が、リバプールでの重圧から解放された私に襲い掛かってきたのだ。
監督という職業には重圧や大きな期待がつきものだ。とりわけ、ビッグクラブになればなるほど背負うものは大きくなる--。焦ることなく、「次のチャレンジに向かえるように心の平穏を取り戻し、しっかりエネルギーを蓄えよう」と思った。
「不慣れな人工芝ので試合。さらに気温は38度。何から何まで初戦に適していなかった」
次の仕事を探す上で私が重視したのは、「どこのクラブか」ではなく、「自分に合ったクラブかどうか」だった。
私が思うに、(監督でなくとも)新しい仕事で求められるのは勝利だろう。そして、ベストを尽くしながら勝つことが重要になる。
2016-17シーズ前、私はその可能性をセルティックに見いだした。世界中のファンに加えて、毎週6万人のサポーターの前で試合をすることで想像を絶するプレッシャーを受ける。しかし私は、理想とするサッカーをこの名門クラブに落とし込める手応えを感じていた。
2011-12シーズンからセルティックはリーグを制覇し続けていた。5連覇中の王者により質の高いサッカーを浸透させ、新たなメソッドでファンを魅了し、チームとサポーターが興奮に包まれるようにする、これが私の新たな挑戦だった。
しかし、新章が『ジブラルタルの敗戦』で始まるのは予定外だった。
十分な準備期間があったわけではないが、充実したプレシーズンを過ごせていた。2016-17シーズンの皮切りはジブラルタル(英国の海外領土)のリンカーン・レッド・インプス戦だった(チャンピオンズリーグの予選2回戦)。プレッシャーを受ける初の実戦だった。
しかも、不慣れな人工芝での試合。さらに気温は38度もあった。
グラウンドのすぐ右には『ザ・ロック』と呼ばれる岩山がそびえ、左の空港からは『モナーク航空』の飛行機がひっきりなしに飛んでいた。すべてが初戦に適していなかった。
0-1で負けた。サッカーではよくあることだ。
翌朝、記者会見を開いた私は気持ちを切り替え、「セカンド・レグでの勝利」を宣言した。だが、初戦だったことを差し引いても、気がかりな点があった。それは、プレッシャーをうまく対処できていないように見えたことだ。
「グラスゴーを代表するチームは1つでいい。そのチームが自分たちであることが大事」
現代サッカーでは、監督に与えられた時間はあまりにも少ない。だからこそ、「最初の一手」が重要になる。予選を突破してチャンピオンズリーグの本選に駒を進めるにはメンタルにアプローチする必要があった。戦術面に着手するのはそれからだ。
まずは、思考方法を切り替え、プレッシャーの対処方法を変えることを試みた。幸運にも選手たちは切り替えられ、翌週にはリンカーンを返討にしてくれた。しかし休む暇もなく、『セルティック・パーク』でのビッグゲームに備えなければならなかった。
私は数々のダービー・マッチを経験し、それぞれに色があると思っている。しかし、『オールドファーム・ダービー』と呼ばれるセルティック対レンジャーズは特別な感じがする。それが、人々の熱狂に由来するのか、強烈なライバル心に由来するのか説明できない。だが、グリーンとブルーの二色に塗り分けられたグラスゴーの街を歩けば誰もが感じるだろう。
オールドファームで主導権を握るのは1チーム、そして勝者も1チーム。その1チームになるか、なれないか--、2つに1つ。
ライバル心むき出しの一戦は常に盛り上がるが、私にとっての初オールドファーム・ダービー(2016年9月10日)はいつにも増して盛り上がった。4部まで降格していたレンジャーズが久しぶりに1部復帰して開催されたセルティック・パークでの試合だったからだ。ジョーイ・バートンのレンジャーズ加入も盛り上げに一役買っていた。それでも、シーズン序盤らしい雰囲気の中、サポーターが王者に求めるのは勝利。選手に見事に応えた。しかも、5-1。
このクラスの試合でこの大差での勝利は特別な意味を持つ。我々は大きな自信を手にした。
「我々には理想とするチーム像があり、その実現には学び、同じ失敗を犯さない必要があったからだ」
もし、オールドファームを制した夕方、「来週の火曜日(9月13日)に地球上で最もサッカーをしたくない場所は?」と我々が聞かれたならば、間違いなくFCバルセロナのホーム、『カンプ・ノウ』と答えるだろう。
リオネル・メッシにルイス・スアレス、そしてネイマールが前線に並び、スタジアムも巨大。
オールドファームで全力を尽くしたことは、「火曜の夜」にも響いた。対戦相手を思えば自然な感情だが、チームからは恐怖心に近いものが感じられていたのも事実だ。
しかし、そういう感情はチームづくりの深化によって消していけばいいものでもある。
だが、FCバルセロナとの試合(チャンピオンズリーグの初戦)では出だしからつまずき、メッシに得点を許したの開始3分。選手たちは奮闘したし、同点とするPKを外しているが、慰めにもならない。前半のうちに0-2とされ、後半に5点を追加されたセルティックは0-7の大敗を喫したからだ。
7失点も許せば、チームの雰囲気は悪くなる。それでも、更衣室に戻った我々は話し合った。なぜなら我々には、理想とするチームの実現に向け、同じ失敗を犯さないために学ばなければいけなかったからだ。
思わぬ大敗もあったが、素晴らしいシーズンを過ごせたと感じている。時間とともにチームの勢いは増し、プレーの質も高められていった。充実したトレーニングを行なえた成果だろう。そして、自分たちのやり方や練習に自信を持てたことでビッグゲームでも素晴らしいパフォーマンスを披露できた。
リーグ戦無敗(34勝4分け)は忘れ難い記録だ。
伝えておきたいことがある。それは、チャンピオンズリーグの試合直後に組まれていた国内リーグの6試合のうち5試合がアウェイゲームだったこと。対戦相手に関係なく、(難敵のあとにアウェーでは)気が休まらない。
しかし、選手たちは最後まで集中を切らさず、目標達成に向かって強い気持ちを維持してくれた。そういう意味でも、34勝には価値がある。4試合の引き分けにしても、試合終了間際に同点にされたものであり、勝利に等しい。
結果からすれば、満足のいく戦績をセルティックでは残せたと思う。国内の大会でより良い成績を残すのは難しかっただろう。ヨーロッパの舞台では、もっと安定して力を発揮し、チャンピオンズリーグの常連になれれば良かったとは思う。
全てに感謝しているし、名門クラブの一員になれたことを幸せに思う。
プレッシャーは常にあり、なくなりはしない。あるいは、プレッシャーはなくてはならないものかもしれない。成功への道のりにプレッシャーはつきものだ。
プレッシャーを成功に変えるのも私たちの仕事なのだ。
翻訳:澤邉くるみ