ジョアン・ビラ
FCバルセロナ(メソッド部門ダイレクター):2011-18
私が30年近くも在籍したFCバルセロナは選手個々の個人戦術こそが最も重要であると確信した場所です。
選手の「貢献」とはつまり、チームに対する貢献を意味します。そして、選手が自身のパフォーマンスを最適化できなければ、チームを機能させることはできません。重要なのは個人戦術、そして基礎や基本からすべてが始まること。ベースの上に監督のプレー・アイディアを積み上げるのです。
FCバルセロナで指導者とメソッド部門のダイレクターを務めた私は、『Go Up Players』という会社を息子と設立し、選手や指導者に対するアドバイスを提供する事業を始めました。会社としてのスタートは2007年の1月ですが、発想自体は何年も前からありました。
私は1970年、16歳の時にFCバルセロナ入団。多大な影響を受けることになるラウレアーノ・ルイズ(1970年代にFCバルセロナの育成部門で指導)がクラブにやって来たのは2年後のことでした。当時、彼は育成年代の指導において最先端をいく人物でした。
ラウレアーノが教えてくれた個人戦術や基礎を高める数々のトレーニングは、プロサッカー選手としてキャリアを終えた私を大いに助けてくれることになります。FCバルセロナのアカデミーで私が指導者を務めた約20年間、彼から学んだ個人トレーニングを反映させたのです。
「『常識を覆すパス』も教えてくれました。我々が教わったのは例えば、右サイドにパスを送っているが、実は左サイドでのプレーを画策しているというもの」
ラウレアーノは多くのことを変えましたが、彼の哲学を端的に表すのは『ロンド(ボール回し)』。ロンドは、フットボールに関するすべてのプレーを網羅しているトレーニングではありません。ゴールも方向性もないからです。しかし、とても重要な基礎トレーニングなのです。
ポゼッション・トレーニングも非常に重要なものです。試合への道は、選手間のパスによるコミュニケーションから始まります。そしてパスとサポートは戦術的プレーの基礎を成すコンセプト。2選手のパスを介したコミュニケーションが基盤を成すのです。
ラウレアーノの実施するトレーニングはロンドからスタートし、続いてポゼッション、戦術的トレーニング、最後にゲームというのがオーソドックスな流れでした。
そしてロンドに詰まっていたのが彼が求めるプレーのベース。立ち方、足の運び、身体の使い方、反転、両足性、インサイドキック、アウトサイドキック、強いパス、弱いパス、パスの長短、コントロールなど。同時に、「顔を上げた瞬間にベストな選択を見極める」、「左右にサポートを作りつつも、正面(対面)のサポートを忘れない」といった戦術的基礎要素もロンドで学んでしました。
「選手の「貢献」とはつまり、チームに対する貢献を意味します。そして、選手が自身のパフォーマンスを最適化できなければ、チームを機能させることはできません」
ラウレアーノのフットボールが求めるものは、まず技術。その上に瞬間瞬間における最良の判断があります。個人技術というベースを築き上げ、さらにポゼッションや戦術的トレーニングを実施した先に試合という舞台があると言ってもいいでしょう。
ラウレアーノは「常識を覆すパス」も教えてくれました。「どんなパスだ?」と皆さんは疑問に思うでしょう。我々が教わったのは例えば、右サイドにパスを送っているが、実は左サイドでのプレーを画策しているというもの。これはとても重要なことです。「欺く」はフットボールの基本だからです。
我々の指導では、できるだけ素早くオーガナイズを構築するように守備の選手には伝えています。構築後に余裕があるならば、「ゆっくりコーヒータイムを過ごせばいい」。一方でフォワードには、まったく逆のことを伝えます。ゆっくりランニングして相手を油断させ、最後の数メートルで加速して相手を出し抜く−−。この数メートルで決定的な違いを生み出すのです。
先ほども言いましたが、集団(チーム)とは個人の才能、努力、貢献の総和であると我々は理解しています。セサール・ルイス・メノッティ(1982-84シーズンにFCバルセロナを指揮)は『スモール・パートナーシップ』というものを重視していました。それは、選手同士の間で築かれた綿密な関係を指します。スモール・パートナーシップがピッチ内外でいくつもできあがることにより、チームプレーが少しずつ醸造されていくのです。ですから個々の選手が、自分の才能を考慮しつつ、与えられたポジションで提供できるものを理解して発揮するのはとても大切なことなのです。
「彼の求めるプレー・コンセプトはロンドに詰まっていました」
私たちが、個人トレーニングを初めて提供したのはカルラス・プジョル(1999ー14シーズンにFCバルセロナ在籍)でした。彼とのプロジェクトを開始したのは2007-08シーズン。当時はバルサの状態があまり良くなく、プジョルのプレーも疑問視されていました。そこで我々は、改善すべきと思われるいくつかの点を見つけ、改善に向けたアイディアを提案しました。彼は30歳になろうとしていましたが、偉大なる謙虚さとオープン・マインドを持って改善に取り組んでくれました。
究極の目標は、「選手が我々を必要としなくなること」。その目標達成に向けてすべてのことをするというのが私たちのスタンスです。そのために選手は、自分自身を分析できる力を養わなければいけません。ですから、労力を費やすのは私たちだけではありません。選手にも努力してもらわなければならないのです。
ある選手と永続的に働き続けられると我々は思っていませんし、我々の目的はそれではありません。監督にしても選手にしても、私たちの言葉に飽きてきますし、同じ言葉をリピートするのも我々の本望ではありません。
プジョルとのトレーニングを開始したのは2007年の12月。その5カ月後には目に見えた成果を手にしました。彼はスペイン代表の一員としてEURO2008のチャンピオンとなり、大会のベスト11とベスト・ディフェンダーにも選出されたのです。
「プジョルとのプロジェクトを開始したのは2007-08シーズン。当時はバルサの状態があまり良くなく、プジョルのプレーも疑問視されていました」
もちろん、プジョルが得た栄光は彼自身が成し遂げたことの結果。決して我々が得た栄光ではありません。そしてあの年齢の彼が成長できたのは、彼が謙虚であり、寛容な人間だったからです。
私たちと深い関係にある人物をもう1人紹介しましょう。それは、シャビ・エルナンデス(現在はFCバルセロナの監督)。彼との関係が始まったのは彼がまだ13歳の時(1993-94シーズン)。バルサのアカデミーでプレーしていた彼と私は、選手と監督として関係をスタートさせました。
1996-97シーズンまでバルサのアカデミーで働いた私は、シャビと共に4年の月日を過ごしました。そして我々は信頼し合える関係を築いたのです。
FCバルセロナのフットボールは次の4点をベースに展開されます。
ボールを動かすこと、ポゼッション、正しいポジショニング、選手同士のコンビネーション。
私が出会った時、わずか13歳のシャビがバルサ流フットボールにおいて主役になっていました。順調に成長すれば、トップチームでレギュラーとして活躍するのは間違いと思われました。
しかし正直に言えば、シャビがあれほどの選手になるとは想像していませんでした。なにせ彼は、数少ないパーフェクトなフットボーラーに上り詰めたのですから……。
バルサから『アル・サッド』(カタール)に移籍する1年前、シャビからの電話を受けました。受話器の向こうから「次の挑戦である監督を務める際には協力してほしい」と彼に依頼され、実際、彼が監督になってから1年半、彼と彼のスタッフをサポートしました。
「ヨハン・クライフはすべての人のメンタリティーを完全に変えました」
シャビから受けた質問を2つ覚えています。
1つは、「選手と会ったら、何から始めたらいい?」とシャビが聞いたこと。私は、新監督として挨拶と自己紹介をすればいいと伝えました。
チームを率いることに慣れていない人物にとって簡単なことなど一つもありません。ただし彼が、こんなことを最初に聞くとは思わなかったのです。
もう1つは、「監督を務めるということはとても難しいことなのか?」という質問。私は、君が選手としてピッチで成し遂げてきたことのほうがもっと難しいと伝えました。
ただし私も、シャビと同じような気持ちになった記憶があります。1984年、FCバルセロナのアカデミーで私が監督に就任した時のことです。恐らく、1988年に監督としてFCバルセロナに復帰した故ヨハン・クライフ(1947年4月25日-2016年3月24日)も同じ心境だったはずです。
彼のもたらした変化は強烈でした。ヨハンはすべての人のメンタリティーを完全に変えました。
どのように?
例えば、全選手に対して「ピッチで恐れるな、楽しめ」と教えてくれました。
「もし我々が楽しみたいのであれば、ボールを保持しなければならない。もしボールがなければ、楽しむことはできない。我々は子供の頃からそのメンタリティーを培ってきているはずだ。すべての子供はボールを欲しがる。その本能を忘れてはいけない」
「シャビからの電話を受け、『次の挑戦である監督を務める際には協力してほしい』と彼に依頼されました」
「ボールを保持するためには何をしなければならないのだろう?」
全員で考えました。
ヨハンは彼の理念をトップチームだけではなく、アカデミーにも伝えました。そして理想を実現するために、何度もミーティングを重ねました。
特にフィジカルコーチであり、クライフのアイディアを発信する役割も担っていたアンヘル・ヴィルダ(クライフと共に7シーズン、働いた)ともよく話しました。
一方、ヨハンは非常に明確なアイディアの持ち主であり、それを実行していく力強さも持ち合わせていました。トップチームでも冷静にアイディアを実現していきました。
3バック、キーパーはリベロとしてプレー、中盤を制圧し、ウイングが幅を確保……。
彼が大事にしていたのは、バルサが相手に合わせることではなく、バルサに相手が合わせなければならないように仕向けることでした。
「試合を支配する。つまり、ボールを我々が保持し、相手がボールを保持していたらボールを『取り返す』。『奪う』ではない。奪うという表現は臆病者の使うものだ。なぜなら、奪うとはつまり、『ボールがほかの誰かの物だと認めているようなもの』」
ヨハンはこのように独自の表現を使いながら、印象的なプレー・コンセプトをチームに落とし込んでいきました。
「相手を走らせる」
ペップ・グアルディオラ(2008-12シーズンにFCバルセロナを指揮)はクライフのプレー・コンセプトを見事に受け継いだ監督です。
私と息子のミッションに話しを戻しましょう。私たちは現在、30歳くらいの3選手とプロジェクトを進めています。学ぶのに遅すぎるということはありません。先ほども言ったように、プジョルは30歳から始めて成果を得ています。フットボール人生は長いのですから、多くのことを学ばなければなりません。年齢なんて関係ないのです。
「マイケル・ジョーダンは『基礎、基本から離れていくと成功が遠ざかっていく』とよく言っていました。つまり、私たちのしていることはどんなスポーツにも当てはまる普遍的なものなのです」
プロジェクト成功のカギは「選手にフットボールを理解してもらうこと」。もちろん、(異なる指針を示して)チームを率いる監督と対立するようなことは避けなければなりません。我々は監督に対して大きな敬意を払いますし、監督の悪口を言うようなことは絶対にないと生徒である選手にも伝えます。
私たちの目的は選手の戦術的理解を極限まで高めることです。監督が望んでいるプレーを実現できるように選手がフットボールをより深く理解し、決断、実行できるようにサポートしていきます。
マイケル・ジョーダン(バスケットボールの元プロ選手)は、「基礎、基本から離れていくと成功が遠ざかっていく」とよく言っていました。
我々は、ゲーム・モデルやシステムとは関係のない普遍的な考え方に基づいて仕事をしています。その目的は、個々の選手が試合の状況に応じて最適な判断を下せる力を身につけることです。
プレーを理解している選手は、チームに貢献できる最良の決断を瞬間瞬間に下せるようになります。そして、そういう選手はチームメイトも導けるでしょう。これが、リーダーとしての第一歩となります。
「『相手を走らせる』。ペップ・グアルディオラはクライフのプレー・コンセプトを見事に受け継いでいました」
集団の中の一員でありながら、リーダーとしての自覚を持った選手が伝える力があると自ら感じた時、その選手はピッチ上でチームを指揮する存在になります。そうした選手は監督にとってかけがえのない存在でもあるのです。
監督のサポートをする時はいつも同じ質問をします。
「あなたの考えは?」
少しでも彼らの力になれるのであれば、私たちは喜んで助けになりたいと思っています。シャビが監督に転身した時、そしてハイメ・ロサーノと共に働いた時にもスタンスは変えませんでした。ハイメ・ロサーノとは東京オリンピック(2021年開催)に向けたプロジェクトを進め、チームを3位に導いた彼はメキシコに銅メダルをもたらしました。
分析は客観的なものでなければなりません。客観性を前提にして、チーム全体の分析だけではなく選手間の関係性や各選手の特徴に応じたポジション別の分析などをチームの考え方をベースに進めていきます。
私たちはすべてに関するビジョンを提供しますが、徹底して絶対的に中立な立場からの指導を提供します。
最終的に成長を左右するのは「自分を超えたいと思えるかどうか」。より良い監督、より良い選手になるためにーー。
それこそが、FCバルセロナで学んだことです。
そして今、息子と共にこの仕事に取り組める幸運に感謝したいと思います。
翻訳:石川桂