フレン・ロペテギ
セビージャFC, 2019
「エリート・スポーツでは簡単なことなど、一つもない」
「いつ、何が起こるか」、それは誰にも分からない。1本の電話がかかってきたのは、私とスタッフがウォルバーハンプトン・ワンダラーズで働くためにイングランドへ出発しようとしている時。2016年の夏だ。受話器の向こうにいるスペイン協会のアンヘル・マリア・ビジャール会長は、「2018年のワールカップに向けてスペイン代表を指揮してほしい」と言った。
個人的には興味深いタイミングだった。なぜなら、圧倒的な強さを見せてきたスペイン代表だったが、2014年のワールドカップではグループステージ敗退、EURO2016でもベスト16止まりだったからだ。つまり、スペイン代表の将来が疑問視されていた。しかし、スペイン代表の未来は明るく感じられたし、スペイン代表が進むべき方向が私にはしっかりと見えていた。
監督が決めるプレー・スタイル(あるいはプレー・モデル)は重要だ。
現代サッカーでは、フォーメーション自体の重要度は低下しつつある。フォーメーションに考えを巡らせることは悪くないが、「机上の空論」に終わっていることが多い。同じフォーメーションのチームが対戦したとしよう。プレー・スタイルが異なれば、異なる結果が導き出される。
出場する選手、各試合における「意図」によってプレー・スタイルも変わる。プレー・スタイルで重要なのは「ある試合で何をするか」ではない。その点、カウンター・アタックを狙う作戦が正しいこともあれば、正しくないこともある。
私は明確なプレー・スタイルを築きたいと思う。そして、試合の難局に対する解決策を生み出すための明確なコンセプトを選手には持ってほしい。私はそうしてチームをつくってきた。明確なスタイルを築くには選手とのコミュニケーションが必須。同時に、選手から同意を得なければならない。
そのため私は、ゲームへの覚悟と理解力を持った選手を選ぶ。
「振り返れば、思っていたほど私は準備ができていなかったのかもしれない」
チームをつくる監督には、もう一つ重要なものが求められる。それは、「(監督に)資質があること」。引退して監督になったならば、「更衣室」(ピッチ外のすべて)も管理しないといけない。これは監督にとって初歩の初歩だ。
チームの立ち位置に関係なく、「更衣室」には共通点がある。それは、若い選手、才能ある選手、成功した選手が集うプロ集団に共通意識を持たせ、しかも複数のルールに従うように促さなければならない点だ。
この課題に初めて気づいたのは2003年の夏だった。2002‐03シーズンまでプレーしていたラージョ・バジェカーノ(当時は2部)の監督に就任し、チームメートや友人に監督として接することになり、違和感を覚えたのだ。
とても強烈な体験だったし、短期間で多くのことを学んだ。振り返れば、思っていたほど私は準備ができていなかったのかもしれない。十分なモチベーションと情熱は持っていたのだが……(10節で解任。チームは降格)。
2006年にはレアル・マドリードで働く機会を得た。しかし与えられた職はコーチではなく、国際スカウトだった。
「監督ではなく、なぜスカウトになったのか?」と疑問に思う方もいるだろう。
サッカーには、色々な側面からの見方が存在する。2006年ワールドカップでは解説者を務めた。
私は、訪れたチャンスにはすべて挑戦すべきだと考えている。多くの経験から多くの知識を得るべきだし、最終的には全てが監督業に活かされるだろう。
実際、レアル・マドリードでは、素晴らしいスタッフと共に選手の興味深いデータベースを作成できた。
「情熱を感じられるプロジェクトを聞き、FCポルト以外は考えられなくなっていた」
「豹は柄を変えない」。これは、私が好んでよく使う言い回しだ。その通り、「やはり監督になりたい」という願望が頭をもたげるようになる。2008年にはレアル・マドリードの『カステージャ』(リザーブ・チーム)で監督に復帰した。
2010年には、スペイン協会からU-19とU-20の監督就任を打診された。週末にリーグ戦を戦うクラブと異なり、アンダー・カテゴリーでは少し落ち着いた環境で学びながらじっくり積み上げられるかもしれないとオファーに魅力を感じた。
引き受けると、育成年代のアカデミー事情を理解する時間を得られ、スペインはもちろん、世界各国の育成事情を学べた。
さらに、(各地の)働き方の違いやサッカーに対する哲学の違いも感じられた。 そして何よりも、素晴らしい選手たちと共に『U-19ヨーロッパ選手権』(2012年)と『U-21ヨーロッパ選手権』(2013年)を制覇できたのを光栄に思う。
その後、戦いの舞台をトップチームへと戻すと決めた。
2014年にスペイン協会の職から離れると、スペインのクラブからもいくつかオファーをもらったが、FCポルト(ポルトガル)からのオファーが目を引いた。FCポルトは、ポルトガルでも有数のビッグクラブであり、すべての大会で結果が求められるクラブ。
情熱を感じられるプロジェクトを聞き、FCポルト以外は考えられなくなっていた。
色々な意味において最初の2014-15シーズンは充実していたと思う。例えば、チャンピオンズリーグでは準々決勝まで勝ち進んだ。ジョゼップ・グアルディオラ率いるFCバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)に予想外の大敗(2試合合計4-7)を喫したが……。それでも、選手たちの市場価値の上昇を見てほしい。11人もの選手が高値で買われ、クラブ史に残る「売上記録」を達成した。個人的にも、アイディアを実現できた点において有意義な1年だった。
移籍によって2015-16シーズンはスタメンがガラリと変わった。にもかかわらず、2015年を無敗(11勝3敗)で乗り切り、首位を守れた。しかし2016年1月2日、スポルティングCP戦での初黒星(0-2)を受け、クラブは監督解任を決めた。
「レアル・マドリードを去ることになった時、『時間的な猶予はまだある』と考えていた」
ビジャール会長からの電話があったのはポルトガルを離れたあとだった。1本の電話は、スペイン代表と過ごした2年間の無敗記録の始まりだった。ロシア・ワールドカップに向けた予選グループには強敵イタリアがいた。それでもスペイン代表は素晴らしい戦績(9勝1分け得点36失点3)を残して本大会の出場権を獲得した。
ロシア・ワールドカップの本大会に向けた準備は完ぺきだった。無論、油断は禁物だが、コーチング・スタッフも選手も希望と夢に満ち溢れていた。
すべての選手から覚悟も感じていたのだが……(レアル・マドリードとの契約が問題視されて大会開幕直前に解任された)。
レアル・マドリードでも同じようなものを感じ、いいスタートを切れたと私は思った。素晴らしい試合も披露できた。ポゼッション率で大きく上回り、主導権を握っているのに、ゴール・チャンスを逸し続けたのは事実。運がなかった……。
どれほど素晴らしいチームであっても、そうした時期に直面する。それでも、「シーズン後」には、ふさわしい結果を手にしているものだ。
レアル・マドリードを去ることになった時(2018年10月28日)、「時間的な猶予はまだある」と考えていた。大きな可能性を秘めているチームであり、選手たちがより良いパフォーマンスを上げるために全力を尽くしていたからだ。
しかし、「シーズン後」は私には訪れなかった。私のアイディアを浸透させるには時間が足りなかった気もするが、監督にとって「時間はいつも足りないもの」なのだ。
ただし、「仕事から離れる=家族と過ごせる時間を得る」でもある。幸運にも、私の仕事に家族は理解を示してくれているが、5年ほど走り続けていた私には家族との時間も必要。
数カ月は立ち止まることが許されると思った。監督に復帰したときにいい仕事をするには、あえて監督にならない時間も必要だ。監督は好奇心に溢れ、常にアンテナを張り続けられなければいけない。そして多大な時間を割いてサッカーを見て情報を得なければいけないが、それが好きでなければ監督は務まらない。
経験も踏まえて言うが、監督の大変さは選手には分からない。対岸からの景色は見られない、という諺もある。残念だが、大変さが分からなければ、面白さも分からない。監督には無限の可能性があり、常に学び続けられるものだ信じている。
しかも、個々の理念や理想に関係なく、勝利という目的にまい進するのも興味深い。
そうしたことすべてが監督の醍醐味だ。
2019年4月 フレン・ロペテギのCVインタビューにて
翻訳:澤邉くるみ