ルイス・エンリケ
スペイン代表:2019〜現在
※ルイス・エンリケがスペイン・サッカー協会のコーチ委員会向けに行なったインタビューから抜粋した記事です。
試合まで残り3時間にもなれば、スマートフォン内での出来事に興味はありません。
私が重きを置いているのは、「監督であるルイス・エンリケのベストバージョン」を提供すること、そしてすべての選手が必要とするメッセージを伝えることです。
その瞬間に備えて、私は普段から呼吸法をベースにしたエクササイズを行なっています。集中力を高めるのに役立っていると感じています。スポーツ心理学者のホアキン・バルデスの存在も大きい。彼のおかげで、私たちが送りたいメッセージを理解でき、また自身が欲しているメッセージによって我々が求めていることも自覚できるのです。そして彼は、我々にストレス発散の必要があるかどうかも判断してくれます。
試合前のラスト・メッセージを送る前には、トレーニングやミーティングを通じ、コーチングスタッフは戦術的なことを伝えることになります。スペイン代表のコーチ陣は戦術的なことを浸透させる仕事はマスターしていると感じていました。しかし、代表のスタッフになった当初、戸惑ったのも事実です。
「代表に与えられた活動時間は限られている。どうすれば効果的な仕事ができるのだろう?」
代表チームの監督やコーチングスタッフであることは名誉なことですが、大きなハンディキャップを背負っているのも事実。FIFAが規定する『FIFAインターナショナルマッチカレンダー』では現在、代表の活動は年間5回しかありません。それ以外の時間は多くの分析に費やされ、それも重要なのですが、日々、選手と接することはできません。知恵を絞り、あらゆる戦略を駆使して戦術を浸透させなければならないのです。
戦術浸透に関して大きく役立っているのがプレー・モデルという独自の考え方だと思います。代表に招集された選手がプレー・モデルを理解しているからこそ、短い準備期間であっても共通理解を持てるのです。対戦相手、試合会場、状況が変わっても、大きく戦略を変えずにすみます。
仮に、前半の15分でリードしていたり、主導権を握っていたりするとしましょう。リトリートして守る必要があるでしょうか? 私は、より良い状態でできるだけ長い時間プレーできるように努めるべきだと考えています。
「ハビエル・クレメンテのためなら笑顔を浮かべながら橋から飛び降りられたかもしません」
試合を見てもらえれば、我々がチームに求めていることは明らかでしょう。ポゼッション率において相手を圧倒しているだけでなく、作り出したチャンスの数でも圧倒しています。
2019年から指揮を執る私が初めて参加した国際大会、EURO2020では最多得点(6試合で13得点。優勝国したイタリアは7試合で13得点)を記録しました(エンリケは1970年5月8日生まれ)。最も多数のチャンスを作り出しただけでなく、最小失点も記録しています(6試合で6失点)。
とは言え、スペイン代表を凌駕するチームと対戦し、自陣のペナルティーエリア内でのプレーを強いられる日が訪れるかもしれません。その時、我々は現実を受け入れるでしょう。そして素晴らしい出来の相手を祝福し、次の対戦相手のことを考えます。しかしそうしたゲームが、スペイン代表がやりたいこと、そして目指すことを変えたりはしないとスタッフも選手も理解しています。
代表チームで同じ戦い方を共有するのは難しい、それは誰もが承知しているでしょう。選手と一緒にトレーニングできる時間が十分ではないだけでなく、プレーに対する異なる考え方を持った選手が異なるチームから集まるからです。
困難を極める作業になります。しかし、プレーヤーに無理強いすることはありません。話し合い、我々の考えを納得してもらえるように試みます。受け入れてもらえるように働きかけられるのは監督として必要な資質だと考えています。
選手時代の私は、さまざまなプロフィールを持った監督と一緒に働きました。
戦術的なことを最も教えてくれたのはFCバルセロナ時代のルイス・ファン・ハール(1997-2000&2002-03シーズンに指揮。下写真)だと思います。一方、「地球の果てまでついて行くとしたらどの監督にするか?」と聞かれたら、ハビエル・クレメンテ(1992-98年までスペイン代表を指揮)と言うでしょう。いや、彼のためなら笑顔を浮かべながら橋から飛び降りられたかもしません。それだけ彼は大事なことを私に伝えてくれましたし、多くの自信を与えてくれたのです。
「こうしたプレーは紙の上に描くのは簡単なのですが、言葉で説明するのは難しい」
監督の考え方を選手に納得してもらえたらようやく、いろいろなことを話し始められます。プレー・モデルの実行方法、ポジショニング、埋めるべきスペースの場所、など――。
私はスペイン代表を率いる上で、ディフェンス面よりもオフェンス面の練習に多くの時間を費やすタイプのコーチングスタッフを構築しました。
「なぜか?」
ボールの位置や我々が目指すことに応じてポジショニングを変えて(スペースを埋めて)11人の選手を組織しようとするからです。
こうしたプレーは紙の上に描くのは簡単なのですが、言葉で説明するのは難しい。ピッチで実演するのはさらに難しくなります。
オフェンス面の練習に多くの時間を割くコーチたちは「選手の解釈の仕方に難しさが残る」と言います。選手は、監督の望むことを自分なりに解釈して表現しなければなりません。「監督の望むこと」により近い解釈をするには、才能に恵まれた選手であることが必要です。だからこそ、選手は本質的な存在なのです。
代表のコーチングスタッフが選手に驚かされることはよくあることです。
所属クラブでのプレーを視察している時には、チームの要望に応じているために代表で求められるようなプレーをしていないこともあります。
代表に招集してグループでのプレーを実際に見る直前、私は自分自身に問いかけます。
「彼はできるのだろうか?」
すると突然、驚かされます。
ある局面におけるプレーを通じ、その選手が代表に適していることが明らかになるからです。例えば、ボールを失った時に見せた彼のプレーによって。我々が気づかなかっただけであり、彼は元からそういう選手なのです。
カルロス・ソレールなどはその代表格です。
代表に招集する前からカルロスのプレーは好きでしたが、彼を初めて代表に招いた時に私は思わず言いました。
「素晴らしい! 彼はナンバー8に必要なものをすべて持っている。その上、いろいろな物をチームにもたらしてくれるぞ」
「味方のゴールを祝福すらしなかったなら、チームは何も生み出せないでしょう。そのチームは死んでいます」
「監督の仕事は、各ポジションでベストと思われる選手を選ぶこと」と私は考えていません。選ぶだけなら、それはとても簡単。我々が求めているものに基づいて選考すれば、さらに簡単になるでしょう。
しかし私たちのゴールは『コレオグラフィー』(振付などの意味だが、スタジアムでサポーターが見せる人文字なども意味する)。つまり、ディフェンスとアタックの両方において「どのようにプレーするか」に関して全員が一致した戦略を持つことなのです。途中から出場する選手も重要な存在ですから、招集した全選手の意見を一致させなければなりません。ピッチが大きくても、相手が11人いても、攻撃と守備があっても、意見を一致させるのです。
チームの調和を実現するには、良い雰囲気が重要です。私たちは、常に細部にまで目を向けています。例えば、チームが健全かどうかをチェックするには、ベンチを見ればいい。試合に出ていない8人の選手が悲しげに座り、味方のゴールを祝福すらしなかったなら、あなたがチームのためにできることは一つもありません。
忘れたほうがいい! そのチームは死んでいます。
幸いなことに、スペイン代表がそうなることはないでしょう。代表チームとクラブが出場する大会の価値が異なるため、選手が異なるモチベーションを抱けるのも大きいでしょう。つまり、選手たちはより高いモチベーションを抱き、準備万端、かつ正しい姿勢で代表の活動に臨めるのです。
代表チームには、所属クラブにはない気持ちの変動があります。
まず、選手は招集されたことに好意を抱くでしょう。結果、前向きな精神と明確なモチベーションを持って代表に参加するのです。
スペイン代表の雰囲気はいい意味で落ち着いていると思います。選手と直接会話するのが好きな私は、選手と話しながらしっかりケアするようにしています。私の性格やコミュニケーション方法を反映した結果とも言えますが、チーム内にルールはほとんど設けていません。唯一のルールは時間を守ることです。
私が大事にしてるのは、家族の中にいるような感覚です。年に数回しか顔を合わせませんが、選手たちが「いつでもプレーできる」と思える空間を提供し、楽しんでもらうことを大切にしています。
「監督やコーチは、自分の気持ちを落ち着かせるためか、いろいろなことを選手についつい言いがちです」
時には、チームメイトが負傷して急遽、招集された選手がレギュラーとしてプレーしているケースがあります。外から見ている方には奇異に映かもしれません。
しかし我々は、追加招集された選手が披露したことを素直に評価しただけです。野心的にプレーしたり、意欲的にプレーしたりすることはいい結果につながると私は考えています。
合宿やトレーニングを通じてすべての準備を終えた時、試合前のラスト・メッセージを送る瞬間が訪れます。私は、与える情報をなるべく少なくします。
監督やコーチは、自分の気持ちを落ち着かせるためか、いろいろなことを選手についつい言いがちです。私もそうでした。そうした傾向を克服できたのは、スポーツ心理学者やコーチングスタッフのおかげだと思います。
私たちがプレーヤーに与える情報は、必要な物、不可欠な物、最も充実させたい物に関すること。5つの側面について5つのアイディアを提供しても、プレーヤーが理解して実行できなければ意味を成しません。
この点に関し、フィジカルトレーナーのラフェル・ポルがよく口にしている素晴らしい言葉を紹介します。
「時間があれば、もっと短い手紙を書いたのに」
我々は、選手との時間をこのように過ごしています。
私たちは何カ月もかけて選手たちに伝えるべきメッセージを考えますが、それは選手にしっかり理解してもらうためです。そして、自信を持って選手が試合に臨めるために言います。
「君たちが、何のためにプレーしているのかを知っている。君たちは、いかなる状況においてもしなければならないことを理解している。だから私は、試合を楽しませてもらう」
翻訳:The Coaches’ Voice JAPAN編集部