ヌーノ・エスピーリト・サント
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC, 2017–2021
「正直に話そう」
『EFLチャンピオンシップ』(プレミアリーグの下位に位置するイングランド2部)だからといって何かが違う訳ではない。
サッカーはサッカーだ。確かに、チャンピオンシップ独自の特徴や性質はあると思う。そして非常に優れたチームもいれば、素晴らしい選手も多くいる。リーグはそういうものだ。
いずれにせよ、カテゴリーに関係なく、大事にすべきは自分の理念や考え。私はそう思う。
では、チャンピオンシップについて考える時、チャンピオンシップのクラブから仕事をオファーされた時、何をまず考えるべきだと思う? それは「(自分の)思い描くサッカーを実践できるのか?」だ。
最初の一歩は、この思いであるべきだ。
チャンピオンシップの監督になると言って、自分の思い描くサッカーや理念を変えるべきではない。チャンピオンシップ所属のクラブに「自分のサッカー」をうまく反映させられるかどうかが問題なのだ。
私たちのサッカーは適合できるのか――。
私たちの戦術や理念は結果を残せるのだろうか――。
考え抜いた末、『ウルブス』(ウォルバーハンプトン・ワンダラーズ:当時はイングランド2部)のオファーを受けることにした。決めたら話は簡単。「目標」に向けて走り出すだけだ(2017-21シーズンを指揮。2018-19シーズンからプレミアリーグ復帰)。
もう一つ、正直に話そう。現役時代、私はゴールキーパーとしてプレーしていたが、プレー時間と同じくらいベンチに座っていた(2010年に引退)。
ピッチと同じくらいの時間をベンチで過ごした私は、2つの景色と目線を手に入れた。結果、試合の流れやスペースのある場所、ゲーム全体を感じ取れるようになった。サッカーに対する理解を深め、今の自分の考え方を得ることになる。
しかし、「コーチになりたい」と思ったのはキャリアの晩年だった。ボールに素早く反応できなくなっていることを悟り、「サッカーは大好きだから続けたいが、選手としてではない」と気づいてコーチを目指した。
サッカーに対する知識を本気で深めようとしたのはそれからだった。その後の2、3年はサッカーを理解することに努め、自分の将来も考えた。
「全ての経験を箱に詰める。何かが必要になった時、その箱の中から取り出す」
一緒に働いたコーチからいろいろなことを学んだ。
ジョゼ・モウリーニョ時代のFCポルト(2002-04シーズン:ポルトガル)では、実に素晴らしい選手とプレーできし、輝かしい栄光を手にした。モウリーニョ監督が全てをつくり上げ、成功へ導き、チームを勝たせた。彼と過ごした日々は、心に深く刻まれている。
2006-07シーズンからFCポルトを率いたのはジェズアウド・フェレイラ監督。サッカーに長らく携わっていた彼の発言すべてに学びがあった。
現役時代には、ロシアやスペインでプレーする機会も得た。ポルトガル代表に選出されたこともある。人生とは、全ての経験から学んだことを一つの箱に詰め、必要な時に必要なものを反射的にその箱から取り出して対応するようなものだと思う。
2010年に引退した私は、フェレイラ監督のもとでマラガ(スペイン)のゴールキーパー・コーチとなり、その後、彼と共にパナシナイコスFC(ギリシャ)へ移った。
フェレイラは素晴らしいコーチング・チームを築いていた。その中には、ウルブス時代に私のアシスタント・コーチを務めてくれるルイ・ペドロ・シルバもいた。
そして優れたチームで仕事をするうちに、私の中で変化が起こり始めた。
サッカーに関する体系的な哲学を有したグループ内で働いていると、自分自身の考えが芽生え始め、それを周囲の人々に伝え、理解してほしくなる。いつの間にか、更衣室で指示している自分を夢想する。大切なのはこうした感情をピッチ上のパフォーマンスにつなげることだ。
対話は、特に話を聞いて理解することは『集団力学』(集団が個人に与える影響や個人が集団に与える影響)において非常に重要なことだ。周囲の意見に耳を傾けなければならない。意見交換できる余裕を常に持ち、他人の意見をしっかりと聞いた上で、状況により適した決断をできるように備えるべきなのだ。
自然とこの考え受け入れた時、「リーダー(監督)になる準備ができた」と私は確信した。2012年にリオ・アヴェ(ポルトガル)の監督に指名されたとき、こうした考え方を身につけていた。
「キャリアの階段を徐々に上がっていく感覚だった。しかし、バレンシアCFでの挑戦は『2段抜かし』のようだった」
ラッキーだったと思う。
私は、ポルトガル国内で監督はもちろん、コーチとして働いたさえないまま、リオ・アヴェの監督となった。そうした状況の中、トップリーグ所属のチームを預かるのは簡単な決断ではなかった。一方で私には、ポルトガル・サッカーに関する知識と経験があり、サポートしてくれそうな仲間にも恵まれていた。
確かに、大きなチャレンジではあった。しかし、「クラブを飛躍させる」という強い決心を抱いていたのも事実だ。順位やタイトルといった具体的な目標を掲げたわけではないが、「到達できるところまでいこう」という心意気だった。
2012-13シーズンはリーグ6位。「2年目はもっと上を目指せる」という手応えを感じていた。だから、賭けに出ることを決めた。全てを賭けて勝負に出ることにした。
続く2013-14シーズン、我々は賭けに勝った。ポルトガル・カップとリーグ・カップで決勝進出を果たし、ヨーロッパリーグの出場権を獲得したのだ。1939年創設のクラブが初めてヨーロッパの大会に出ることになった。
ヨーロッパ進出はクラブにとってとても大きな出来事であり、我々も自分たちの仕事を誇りに思った。しかしながら同時に、私たちは謙虚でもあった。なぜなら我々は、我々を信頼してくれる人々から大きなチャンスをもらい、我々のアイディアを発展させてチームに浸透させる猶予をもらったことを理解していたからだ。
その後、バレンシアCF(スペイン)に加わることが決まった時(2014年)、本当に嬉しかった。とても素晴らしい瞬間だった。
それまでの私は、キャリアの階段を一段一段上がっていくようだった。リオ・アヴェの監督となり、チームを次のステージへと導き、自分自身も次のステージを経験した。
しかし、バレンシアCFの監督就任はそうではなかった。私は、2段飛ばしでキャリアアップするように感じていた。ビッグクラブでのビッグチャレンジだ。
「やってみようじゃないか」。そんな気持ちだった。
バレンシアCFでは多くの違いを感じた。
5万人の騒がしく、元気なファンがホームの『エスタディオ・デ・メスタージャ』に足を運ぶ。しかもチャンピオンズリーグは素晴らしいチームとの対戦ばかり。リーグ覇者、巨大な予算を持つチーム、輝かしい歴史に包まれたチームが対戦相手だった。バレンシアCFと同等、あるいは格上との試合が続いた。
「クラブにとって大事なのは試合に出ている選手だけではない。大事な瞬間を迎えるには全員の力が必要。ファンの存在はいつも大切だ」
2016年、私はFCポルトに戻った。
同じクラブに長らく在籍すると、クラブ事情がいろいろと分かる。クラブを知り、クラブを感じることになる。すると、クラブが求めていることやクラブが戦っているものが分かる。FCポルトのそうしたことを理解していた私は自然体でいられた。準備が整っていた。私はこのチームで勝ちたいと思い、自分らしくいればいいと確信していた。
始動したチームには明確な目標があった。手始めに、ASローマ(イタリア)とのプレーオフで勝利してチャンピオンズリーグ出場権を獲得しなければならなかったのだ。出場権獲得がクラブの目標だったため、すべてのことに優先してASローマ戦を考え、準備することになった。
無事に目標を達成(2試合合計4-1で勝利)した我々は、勝つべきすべての試合に向けて備え、シーズン後の目標に向けてチームを整え始めた。
クラブにとって大事なのは試合に出ている選手だけではない。長きにわたって勝ち続け、栄冠を獲得し続けるには実にいろいろなものが必要となる。大事な瞬間を迎えるには全員の力が必要であり、FCポルトではファンからの心強い援護を感じられる。実際にホームの『エスタディオ・ド・ドラゴン』は常に満員となり、人々がチームを支えてくれることはすべての人にとって非常に重要だ。
FCポルトを率いた1シーズンで私はとても多くのものを学んだ。最も重要なのは、「引き分けは良い結果ではない」ということだ。
「引け分けは良くない」と考えることは監督としての成長を確実に促す。なぜなら、すべての試合に勝とうとしなければならないし、勝利に向けて1日24時間費やさなければならないからだ。勝利を中心にして人生は回り、リラックスなどできない。リラックスなど存在しなくなる。そして勝利こそすべてという思考に突き動かされ、監督は強くならざるを得ない。ひたすら、強くなることを求められるのだ。
勝利による強迫観念から逃れたとしても、ひどい結果を素直に受け入れられるわけがない。同じような状況に陥る。悪い結果は最悪の事態であり、誰もが嫌悪するからだ。試合に敗れた夜は眠れない。いや、眠らないと言うほうが正しいだろう。それでも翌朝になれば、切り替えて次に向けて進まなければならないのが監督だ。
難しいことではあるが、サッカーから離れたほうがより良いパフォーマンスを導き出せるように思う。今の私は、それを試みている。徐々に、サッカーを頭の中から追い出し、人生について考えられるようになってきた。
昨年、そしてそれ以前もそのようには振る舞えなかった。考えをまとめるのに時間を要するように、次のステップに進むにも時間を要するのだ。
翻訳:澤邉くるみ