ジョン・テリー
選手, チェルシー, 1998-2017
初めて会った時から特別な何かを持っていると感じた。
「なぜ、そう思ったのか」。当時はうまく説明できなかったが、今ならできる。
ジョゼ・モウリーニョがチェルシーの監督に初めて就任した2004年、私はまだ23歳。彼のトレーニングを数回経験した私は、すぐさまメモ帳を買いに行き、必死にメモをとり始めた。
彼が、チーム・ミーティングで言ったこと、私たちやプレスに向けて試合前に言ったことを記した。トレーニングメニューを全て書きとめた時もあった。
周囲からは「何をやってるんだ?」という顔で見られた。
私はとにかく彼に魅了された。いや、私だけではない。練習を終えたチームメートたちも口を揃えて、「今までで一番いいトレーニングだった気がする」などと話していた。
チームは完璧な状態になっていた。「いいトレーニングだった。楽しかった。」と言うみんなの感想もメモに残し、数少ないあまりうまくいかなった練習でさえも書き留めた。
ジョゼ(モウリーニョ)だからこそ私はメモを取りたくなったのだと思う。メモを今でも大切に保管している。当時はまだ若かったが、書き留めたことが将来いつか役に立つと私は確信していた。
「好奇心旺盛だった私はとにかく書き残した。『きっと将来、役に立つ』と確信していたからだ」
ジョゼと出会ったことで、私は「コーチになりたい」と思った。それまでの私は色々と考えることもなく、フィールドの上でただただ必死にプレーしていた。トレーニング内容やコーチング、そしてグリッドのサイズさえも気にしていなかった。しかし、「コーチになりたい」と思った瞬間から景色が変わった。準備が全てであることに気づいたからだ。
8時にはグラウンドに姿を見せるジョゼは、マーカーやビブスの枚数を入念にチェックし、ボールの数まで把握していた。切れ目なくトレーニングを続けるためにボールボーイまでトレーニングに呼んでいた。ジョゼの監督としての素晴らしさに気づかない者は一人もいなかった。
彼が気を配っていたのはトレーニングだけでなない。選手のメンタル面も気にかけていた。
今でも覚えていることがある。負傷した私は試合を欠場し、治療に専念していた。するとジョゼが治療室に顔を出し、選手たちと言葉をかわしたが、私には声をかけてくれなかった。一言もかけずに部屋を出て行った。
「治療室に顔を出したジョゼは私に一言も声をかけなかった。私の気持ちに火を付ける方法を知っていた」
そのとき、キャプテンでもあった私は懸命に考えた。「なぜ、言葉をかけてくれないのか?」と。そして私が下した最終決断は「明日から練習に復帰する。監督に話しかけてももらえないのは嫌だからね」とトレーナーに言うことだった。
ジョゼはすべてを把握した上で行動する。私の怒らせ方、抱きしめ方、そして自信の持たせ方、そういうものをすべて理解していた。
あるとき彼は、私、フランク・ランパード、ディディエ・ドログバ、ペトル・シェフ、アシュリー・コールの名前を挙げて「世界で最も優れた選手たちだ」とメディアの前で言った。彼のおかげで選手たちは自信を得られた。彼はそうなることを知っていたのだ。
私たちのパフォーマンスはジョゼの一挙手一投足にかかっていた。我々は世界で最も優れた選手だっただろうか? いや、恐らく違う。
だが彼は、「我々はベストだ」という気持ちにさせてくれた。 そして彼は毎日、ベストを尽くした。負けることが大嫌いだからだ。
「ジョゼがベストの監督だ。そんな彼と出会ったことで私はコーチになりたいと思った」
あるトレーニングのことだ。ありふれた「5対5」のミニゲームで3−0で負けた私に、ジョゼは激しく怒り出した。「3失点することをディフェンダーが普通と思うな!! 決して、それを受け入れるんじゃない!!」
その日以来、トレーニングのミニゲームでも3失点も喫することはなくなった。いつも接戦だ。彼はいつだって私たちにプレッシャーをかけ、ベストを尽くせるよう促した。それがジョゼだ。
チーム状態がいいときは、全てのことがうまく運ぶ。だが、不調に陥ることもある。それがサッカーだ。数試合負け続けたり、流れが悪くなったりしたとき、懐が広く、偉大な人が必要となる。
今でも、チェルシーにおける「ジョゼの第一次政権」(2004年~2007年)を思い出すことがある。私がキャプテンで、フランク・ランパードが副キャプテン。フランクには本当に助けてもらったと思う。
しかし当時のチェルシーには我々以外にも、ペトル・チェフ、アシュリー・コール、ディディエ・ドログ、ジョー・コール、アリエン・ロッベンなど、多くのタレントに恵まれていた。誰もが一流で必要な選手だった。しかし、我々を束ね、力を引き出してくれる人が必要だった。それがジョゼだった。
ジョゼがベストの監督だ。そんな彼と出会ったことで私はコーチになりたいと思った。
翻訳:澤邉くるみ