フィリップ・ネビル
インテル・マイアミCF(アメリカ合衆国)、2021-現在
ランニングしていると良い考えが浮かんでくるのです。
マンチェスター(イングランド)の郊外を走っていると、頭の中がスッキリします。それは、「重要な局面で選手たちにどんな言葉をかけるべきか」を考えるとても大切な時間なんです。
選手たちは、監督が落ち着かせてくれることを求めるものです。同時にサポート、励まし、信頼を求めています。
求められた時こそ、監督の腕の見せ所。そこで「給料」をもらうのです。
イングランド女子代表を率いて2019年のワールドカップ(フランス開催)を戦ったことは私の人生において最大のチャレンジでした。私は選手としてのキャリアを築く中で「ワールドカップに出場したい」とずっと願っていたからです。選手としての出場は叶いませんでしたが、23人の信じられないほどの才能に溢れ、成功に飢えた選手たちと共にイングランド女子代表の監督として戦うチャンスを得ました。
監督としてタッチライン際に立った時、信じられないほど誇らしい気持ちになったのを覚えています。
女子代表の監督就任オファーを受けた時、女子バスケットボールでイングランド代表の監督を務める妹のトレーシーに相談しました。
2017年のクリスマス・ランチの席でした。
私は、選手としてもコーチングスタッフとしてもずっと男子フットボールの世界で生きてきました。ですから、この挑戦は今までとはまったく異なるものになると感じ、トレーシーがどう感じるのかを知りたかったのです。
やってみるべきか、否かーー。
彼女の答えは明確でした。
「オファーは受けなければいけない。最大のチャレンジ、最高のチャレンジになるでしょう」
タイミングも完璧でした。
2013年の6月8日に現役から退いた私は同時にコーチングとしてのキャリアをスタート。U-21イングランド代表(2012〜13年)、マンチェスター・ユナイテッド(2013-14シーズン)、そしてスペインのバレンシアCF(2015-16シーズン)でコーチを務め、次は監督をやってみたいと考えていました。
男子や女子、あるいはアカデミーや下部リーグなど、カテゴリーに対するこだわりはまったくありませんでした。ただただ、チームを率いて自らの哲学に基づいたチームを構築したかったのです。
「初ミーティングに向け、それまでの人生でやったことのないくらいの準備をしました」
しかし監督就任を決めた途端、心がざわつき、自問自答の日々が始まりました。
「自分はどのような監督になっていくのだろう?」
「選手は私の言うことを聞いてくれるのだろうか?」
「私のスタイルを楽しんでくれるのだろうか?」
「私の要求に応えてくれるのだろうか?」
「私のフィロソフィーはイングランド代表監督として十分なものなのだろうか?」
「そして、ワールドカップで優勝することはできるのだろうか?」
同時に信じられないほど興奮もしていました。最初の顔合わせ、ミーティング、そしてトレーニングが待ちきれませんでした。
恐らく、「あの30分」は監督としての私にとって最も重要な意味を持つ時間でした。選手たちとのファーストコンタクトーー。自分が誰で、どのような人間であるか、そしてビジョンや目標、フィロソフィーをうまく伝えなければなりませんでした。
初めてのミーティングに向け、それまでの人生でやったことのないくらい綿密な準備をしました。私はプロフェッショナルでありたかったし、冷静でありたいと考えていました。そして同時に、偽りなく、自分の言葉で自分らしく伝えたいと思っていました。
最初のミーティングでは「勝利」に関する話に多くの時間を費やしました。ワールドカップだけでなく、オリンピックやEUROもテーマにしました。伝えたかったのは「毎日が勝負だ」ということ。
マンチェスター・ユナイテッドは「土曜日の勝利だけにこだわっているわけではない」というフィロソフィーを持っていました。「1週間の7日間、そのすべてに勝たなければいけない、毎日、毎分、毎秒、勝利のメンタリティーが重要なんだ」と。
練習の終わりにミーティングを行ない、「今日は勝ったのか? それとも負けたのか?」と私は選手に問います。負けた日より勝った日が多ければ、それは成功に近づくことを意味します。
マンチェスター・ユナイテッド時代に、このフィロソフィーを徹底されてきました。アカデミー時代の故エリック・ハリソン(1938年2月5日-2019年3月13日)、ブライアン・キッド(マンチェスター・Uの指導者)、そしてサー・アレックス・ファーガソンたちはこのフィロソフィーを常に口にしていました。
初めた会った時のエリックは、「マンチェスター・ユナイテッドのためにプレーがしたい、あるいは人生で成功したいのなら、誰よりも努力を重ねなければならない」と話していました。今でも覚えています。
「女子フットボールに対する期待は驚くほど大きく、彼女たちは成功を期待され、大きなプレッシャーに晒されています」
マンチェスター・Uの価値観、つまり激しいトレーニング、礼儀正しさ、敬意を持って人と接すること、正しい準備をすること、正しく自分を表現すること、は今でも私の心に残っています。そして私は、これらのことを彼女たちに伝えたいと思いました。
ただし今は、私がアカデミーでプレーしていた頃とは社会が大きく変わりました(ネビルは1977年1月21日生まれ)。だからこそ、時代に合った伝え方、よりグローバルな視点が必要なのです。そして声のトーン、ボディー・ランゲージなど、コミュニケーション方法にもより一層、神経を使う必要があります。
その点、最高のコミュニケーターであるサー・アレックス・ファーガソンと働けたことは私にとって大きな幸運。そして監督になってからはコミュニケーションこそが最も重要な仕事の一つであると学びました。
コミュニケーションを成功させるには多くの時間とエネルギーを必要とします。技術も欠かせません。ですから私は、選手だけではなく、さまざまなジャンルの人から学ぼうと努めました。
選手のモチベーションを上げる方法を学ぶために講演会へ行ったり、弁護士が法廷でどのように振る舞うかを聞いたり、大統領や大臣の話し方を学んだりもしました。
代表の国際試合となれば、25人の選手、そして多くのスタッフと監督はコミュニケーションをとらなければなりません。
言うまでもなく、同じ人間など1人もいません。つまり、同じように話していい人はいないのです。ですから大切にすべきは、できる限り早く選手の「人となり」を知ることです。
サー・アレックスはこの領域に関して特異な能力の持ち主でした。彼は選手個々の人生、生い立ちをよく理解していました。しかも一人ひとりの個性を受け入れられていました。だから選手は、自分自身を特別な存在と感じることができたのです。
彼の最大の特技は、部屋に入って来た選手と特別な会話をすることもなく、目を見るだけでその選手がどんな人間かを把握できたこと。今にして思えば、「選手としてどうか」ではなく、「人間としてどうか」から始めることが大切なのです。
「監督は、選手が24時間いつでも連絡できる存在でいるべきなのです。そうすれば、選手たちは『監督とコーチングスタッフは自分たちを選手としてだけではなく、人間として大切にしてくれている』と感じられるのです」
コミュニケーションの基本は、外出していたあなたが帰宅時に両親と会うことと同じかもしれません。あなたをひと目見た両親は、状態を察するでしょう。「悲しんでいるのか」、「幸せなのか」、多くのことを見通せます。
それこそが、監督としてのサー・アレックスの姿であり、私が追い求めているものなのです。
選手がロッカールームに入ってきた時、私は彼女たちの目を見るようにしていました。振る舞いを見るようにしています。そして、グループの雰囲気にも気を配りました。
女子フットボールに対する期待は驚くほど高く、彼女たちは成功を期待され、大きなプレッシャーに晒されています。ですから、監督に就任した時から私は、彼女たちが直面している問題に対して自分自身で対処できる環境と文化を作りたいと考えていました。それは口で言うほど簡単ではなく、それまで以上に選手自身の人間力が試されることを意味していました。
居心地のいい場所から飛び出して要求し合うーー。
これは、選手時代から私が心がけてきたこと。トレーニングのたびに自分自身がテストされることで個性が醸成されていくのです。そして勝者のメンタリティーも作られていきます。
もちろん一朝一夕にできるものではありません。時間を要します。しかし、12カ月後の選手たちはハードなトレーニングであっても楽しんで取り組めるようになっていました。
2018年の監督就任からワールドカップ本大会までの16カ月間、選手たちと共にフィールドの内外でチャレンジし続けました。そのすべてが、ワールドカップの準決勝や決勝という大舞台で戦うために必要なことと考えていました。
もっとも、その判断が正しかったかどうかは「その時」にしか分かりません。
マネジメントとはすべてを掌握することと考えています。特に代表監督のマネジメントはそういうものだと思います。そして、すべてを掌握するにはスイッチを切るのがとても難しい。
映画館に映画を見に行けますし、妻とランチにも行けます。
しかし、頭の中はいつも選手のことばかり。「あのプレーはどうだったのか」、「今、何をしているのか」、「体調はどうだろう」、「しっかりリカバリーできているのだろうか」などなど。
周囲の人からは「たまには携帯のスイッチをオフにしたほうがいい」と言われます。しかし現実的に考えると監督は、選手が24時間いつでも連絡できる存在でいるべきなのです。そうすれば、選手たちは「監督とコーチングスタッフは自分たちを選手としてだけではなく、人間として大切にしてくれている」と感じられるのです。
私たちは大会までの16カ月間で多くのことを経験しました。良いことも悪いことも……。ピッチ内外でいくつかの問題も抱えました。
ただし突き詰めれば、監督が自分を心配してくれていると選手が感じられれば、「この監督の元でプレーしたい」、「この監督のために力を尽くしたい」と思うようになるものです。そして我々は、自信と確信を持ってワールドカップに臨みました。もちろん、恐れずに。
当時もよくランニングしました。いいアイディアを生むためです。
ワールドカップのグループステージ初戦となるスコットランド戦(○2-1)の直前、選手たちにかける言葉は決めていました。どのようにプレーすべきかも分かっていました。そして続く、アルゼンチン戦(⚪︎1-0)、日本戦(⚪︎2-0)においてすべきことも理解していました。(ベスト16は⚪︎3-0カメルーン、ベスト8は⚪︎3-0ノルウェー、ベスト4は○1-2米国)
私は試合の展開をイメージして周到に準備するタイプの監督。そして、試合の始まる瞬間からすべきことやアイディアを用意しておくことを好みます。毅然とした態度で試合に臨むこと、試合の瞬間瞬間で言うべきことさえも完璧に準備することを大切にしています。
あとは、うまくいくことを祈るだけーー。
私にとって試合は最高の瞬間です。タッチライン際に立ち続けたい。
翻訳:石川桂