キケ・セティエン
レアル・ベティス, 2017-2019
セビージャの「情熱」は他地域とは少し違う。
私のようなスペイン北側の出身者には、セビージャ(アンダルシア州の州都)の「情熱」は扱いづらい。
勝つためには、正しいやり方を模索しなければいけないと思う。しかしセビージャでは不合理なことが多い。
「勝たなければいけない。なぜなら我々はベティスだから」
「なぜ」、「どうして」を理解しようとしないサポーターはどのクラブにもいる。そういうサポーターは勝敗にしか興味がない。
私は、監督にとって最も扱いづらいのは「彼ら」だと感じている。
簡単ではなかったが、ベティス・サポーターの大半は私の考え方を受け入れてくれた。
2017-18シーズンの前半は多くの試合で敗れ、私たちのプレー・コンセプトを理解するのは難しかっただろう。だが、敗戦から得ることも多く、改善の余地はいくらでもあった。
『ラ・リーガ』(スペイン・リーグ)を6位でシーズンを終えると、私たちのアプローチを受け入れやすくなったようだ。
サポーターは、ビルドアップとポゼッションという戦術の効果を結果によって実感できた。試合も少しずつコントロールできるようになっていた。相手陣内に攻め入る時、組み立て直しを何度も強いられたとしても、繰り返し組み立て直した。前進するためのメリットをもたらすフリーマンを見つけ出すための時間をつくるために必要な作業なのだ。
長い目で見れば、こうしたすべてのことがプラスになる。
リードを許している時間帯にゴールキーパーがボールを保持していたならば、「相手陣地にとにかくボールを速く蹴り込め」と考える人々が今でもいるようだ。
しかし、これは正しい手順ではない
「セビージャでは情熱が全て。彼らの情熱に適応できなければ生き残れない」
順応することが最も重要なのだ。
私は人生を通じて順応を意識してきた。(現役時代の)監督、チームメイト、住む街が変わった時、全ての変化に順応しなければ、サッカーで生き残れない。
これが現実だ。
監督になれば、シーズンごとに入ってくる新加入選手に自分を印象づけなければならない。そして自分がクラブを移れば、またゼロからの繰り返し。契約を結ぶ時には自分自身の良さを売り込まなければならない。だが、いくら綺麗事を並べたところで、結局、求められているのは結果なのだ。
繊細な時期や特定のニュアンス、それぞれ違った状況にも順応しなければならない。セビージャでは情熱が全て。彼らの情熱に適応できなければ生き残れない。
現役時代、私は14人の監督の下でプレーした。
多くの監督と共に時間を過ごし、多くの「すべきではないこと」を学んだ一方、すべての監督に対して常にリスペクトを持っていた。クラブにとって監督は重要な存在なのだ。
共に働いた監督の中でも、故ルイス・アラゴネス(1938年7月28日-2014年2月1日)はとても印象的な監督だった。彼の下でプレーした時(アトレティコ・マドリード)、自分の中でさまざまな変化が起きた。特に、「戦う」ことの真の意味を理解できたのは大きかった。
8年間(1977-85シーズン)も在籍していたサンタンデールでは居心地の良い日々を過ごし、アグレッシブさを失いつつあった。多くの監督が、私がスコアすること、いいパスを通すことで満足してくれたことも少なからず影響していた。
1985年、アトレティコ・マドリードに移籍したとき、そんな自分は通用しないとすぐに気づいた。そして、アラゴネスは失いかけていたアグレッシブさを注入してくれた。「もっとやるべきことがある」、「上のレベルに行きたければ、もっともっと頑張らなければならない」と彼は思わせてくれたのだ。
監督は、選手の考えと自分の考えの妥協点を見いだそうとする。
選手はクラブの方針に合わせ、チームの一員になる。そしてある部分では、チームやチームメイトのために犠牲を払ったり、自分を抑えたりしなければいけないことを知っている。なぜなら、自分だけでは試合に勝てないし、全員で戦って勝たなければいけないからだ。率いる監督は、均衡点を見いだしてチーム全体の団結力を高めることになる。
ピッチ上にいるのが「チーム」なのか、「好き勝手する11人の選手」なのか、この違いはまったく異なる結果を生み出す。チームづくりでは、選手たちがベストを尽くせる環境をつくること、そしてスタッフと選手たちが同じ考えを持てることが重要になる。
「プロのサッカー選手になるような人は、1日の終わりに振り返ると『ずっとボールに触っていた』という幼少期を過ごしているものだ」
監督の考えに納得し、ハッピーだと選手が感じられれば、素晴らしいパフォーマンスを披露できると誰もが知っている。しかし、日々のトレーニングを重荷に感じる選手がいれば、彼は自分自身の内面をうまく表現できないだろう。
サッカー選手であれば、ボールに触っている時が最良であるはずなのに――。
プロのサッカー選手になるような人は、1日の終わりに振り返ると「ずっとボールに触っていた」という幼少期を過ごしているものだ。家の中で、道端で、そして公園で。
優れたテクニックに恵まれていない選手であっても、ボールに触っていたいはず。対戦相手からボールを奪ったり、守ったりするだけでなく、プレーしたいに違いない。
サッカー選手が胸に秘める「プレーする楽しみ」は時間と共にいつしか失われる。例えば、言われたことを実行するだけのプロフェッショナルになったりする。
現役時代、「監督が選手に伝えたいこと」が感じられるようになった時期がある。
「これをやらないといけない。ここにいるとき、チームメイトがここに移動して来て、君はあそこに移る。ボールがこのポジションに動いたら、君は近づく」
監督はガイドラインを設定して選手にすべきことを伝え、選手は言われたことを実行しようとした。それがうまくいこうと失敗しようと……。
「ヨハン・クライフのFCバルセロナを見た時を鮮明に覚えている。対戦するたび、試合中ずっとボールを追いかけることになった」
現役時代、監督の考えを受け入れ、ボールに1度も触ることなく自陣と敵陣を走って行ったり来たりした試合もあった。監督たちが望むプレーを実行するために自分の考えを犠牲にすることも多々あった。ボールを保持しているチームメイトからパスを受けられるポジションに入っても、チームメイトは監督の指示に従ってロングボールをスペースに蹴り込んだ。
これは私にとって大問題だった。
ピッチ上の選手に見えることと監督の指示は必ずしも一致しない。だとしても、私は監督と衝突したいとは思わない。「やれることは全部やろう」と思うのだが、何かが欠けている。何かが……。
故ヨハン・クライフ(1947年4月25日-2016年3月24日)率いるFCバルセロナとの試合を今でも鮮明に覚えている。
対戦するたび、試合中ずっとボールを追いかけさせられた。
なのに、「このサッカーが好きだ。このチームに入って、なぜこうできるのか知りたい!」という内なる声が聞こえた。
ボールを支配し続けるにはどうすればいいのか、ボールを追わせて相手を走り続けさせるにはどうすればいいのかと考えるようになった。
自分のサッカー人生とキャリアで感じてきたことに目を向けたのは、それからだ。
そして、サッカーをしっかり見て分析するようになった。自分が感じていることを理解し、コーチになったときに取り入れたい練習を考えた。
そうか私は、ボールを保持したいんだ。
翻訳:澤邉くるみ