マヌエル・ペジェグリーニ
マンチェスター・シティFC, 2013-2016
「自分ができないことができる人を私は少しだけ妬む」
私にはできないことが多い。絵を描くこと、歌を歌うことはできないし、できないスポーツもある。私ができないことをできる人を私は尊敬する。だからこそ私は、「人生はいつも見習い期間だ」と努力するのだ。
監督として長く生き残りたいのであれば、学び続ける姿勢が大切だ。毎日、自分に負荷をかけ、新しいことを学ばなければいけない。サッカーが進化し続けるのだから、私も監督として進化し続けなければいけない。
さまざまな国々を渡り歩くことになった私は、各国の特性に順応しなければならなかった。母国であるチリ、その後はエクアドルとアルゼンチンという南米の3カ国で全く異なる体験をした。さらにヨーロッパへ渡った。
スペインでは数多くの貴重な体験から学び、「土台」を築けた。
ビジャレアルの監督に就任したのは2004年だった。そして、2008―09シーズンにはチャンピオンズリーグの準々決勝まで勝ち進んだが、アーセナル(イングランド)に敗れた(2試合合計1-4)。私にとっては手痛い思い出だ。あのシーズンのビジャレアルは『ビッグイヤー』(チャンピオンズリーグの優勝カップ)を持ち帰るに値するチームだったからだ。
2009-10シーズンから指揮したのはレアル・マドリード。このビッククラブではシーズンが開幕する6か月ほど前からフロレンティーノ・ペレス会長と意見が食い違っていた。指導現場とフロントの間に溝がったために実に厳しい環境だった。それでも私は、選手、クラブ、スタッフからはいい思い出の数々を得たと考えている。
人生において最も感情的に起伏のある時間を過ごしたのはマラガかもしれない。 2010-11シーズンは降格圏からどうにか抜け出して11位で終えると、2011-12シーズンには4位となってチャンピオンズリーグの出場権を獲得できた。 しかも翌シーズンのチャンピオンズリーグでは、グループステージを無敗(3勝3分け)で突破し、決勝トーナメントの1回戦ではFCポルトを撃破して見せた(2試合合計2-1)。
ドルトムント(ドイツ)との準々決勝のファーストレグを0-0とし、セカンドレグに向けた準備をしているときに悲報が届いた。
私の父が亡くなった。
「悲しい出来事にも遭遇したが、それらはすべてマンチェスターシティに旅立つために必要な『見習い期間』だったのだろう」
葬儀のために母国のサンティアゴに帰り、駆け足で戻ってチームに再合流したのは試合当日。 とても辛かった……。 しかも、2-1のリードからロスタイムに2ゴールを浴びて逆転負けを決しただけでなく、受け入れ難いレフェリーのミスがあったのだから。誰にとってもつらい出来事だったと思う(2試合合計2-3)。
にもかかわらず、3000人以上ものサポーターがマラガの空港で私たちを出迎えてくれた。しかも、到着は明け方の3時だった。 数日後、ホームの『エスタディオ・ラ・ロサレーダ』の試合では観客が父を追悼してくれた。
サポーターからの愛情を受けた私は大きな、大きな力を得られた。
マラガで過ごした3年間は本当に素晴らしかった。魅力的なスタイルのサッカーが3年間できたからだ。とりわけ、2012-13シーズンのチャンピオンズリーグは思い出深い。グループステージで勝ち点差4もつけて名門ACミランを上回った。
悲しい出来事にも遭遇したが、それらはすべてマンチェスターシティに旅立つために必要な「見習い期間」だったのだろう。
シティから正式オファーが届いたとき、イングランドに旅立つ準備は整っていた。 あらゆる状況に備えて学んでいれば、チャンスが訪れた時に「準備不足」という理由で逃さなくてすむ。成功をつかむには準備が欠かせないのだ。
2013年、チキ・ベギリスタイン(マンチェスターシティのフットボールディレクター)から話を持ち掛けられた時、「絶好の機会が来た」と私は感じだ。
「イングランド特有の直線的なスタイルに私が積み上げてきたメソッドを取り入れることに成功したと言えるかもしれない」
私のサッカー観が認められたから私が選ばれたと思う。 同時に、シティとビジャレアルには似通った点もある。例えば、由緒あること、クラブ運営が組織的なこと、さらには施設の充実度やサポートが得られる点だ。
また、カルドゥーン・アル・ムバラク会長やフェラン・ソリアーノ強化部長、そしてチキといったフロントが私に近いサッカー観を持っていたのも心強かった。 目指すはアタッキングサッカーだ。 1-0の勝利で勝ち点を着実に積み重ねるような試合ではなく、エンターテインメントも観客に提供できる試合をしたいという思いで一致していた。
初シーズン(2014-13)から目標とするサッカーを披露できたと思う。素晴らしいショーを提供できるチームだった。プレミアリーグ史上最も早く100ゴールに到達し、終盤に訪れたリバプールとのレースを制してプレミアリーグの頂点に立った。
2013-14シーズンにはリーグカップでも優勝し、2冠を達成している。終盤のシティはライバルを寄せつけなかった。
監督として忘れられない時間であり、本当に素晴らしいシーズンを過ごせた。
一般的には、新たなリーグでの指揮には「順応期間が必要」と言われる。すでに、ヨーロッパで数シーズンを過ごしていた私にはプレミアリーグに関する知識があったが、懐疑的な目を向ける人々もいたようだ。それでも私は自分の戦術をチームに落とし込んだ上でプレミアリーグを制覇できた。
初シーズンから結果を残せたことに満足している。 ただし私は、ポゼッションを前面に押し出したサッカーを無理強いしたつもりはない。 イングランドのサッカーファンが好むゴールに向かう強い姿勢、シンプルなクロスからのゴールという点も残そうとした。
結果、ダイナミックなアタックとポゼッションを融合させたサッカーを実現できたと思っている。イングランド特有の直線的なスタイルに私が積み上げてきたメソッドを取り入れることに成功したと言えるかもしれない。
だが、私は1つのミスを犯していた。
「『次のこと(監督)を考える』と知らず知らずのうちに人は気が緩むのだろう」
シティとの契約期間は3年。それ以降は、「先送り」で合意していた。 「私のキャリアのため」が理由ではない。ソラーリとチキ、そしてジョゼップ・グアルディオラはFCバルセロナで長らく仕事をした間柄であり、「成し遂げたいプロジェクト」が彼らにはあった。
ソラーリとチキと信頼関係を築けていた私はそのことを打ち明けられていたし、グアルディオラをシティの監督にしたいことに理解を示していた。だが、グアルディオラがシティに来ることを望まなければ、私が監督を続けることになることも分かっていた。そういうすべての事情を私は受け入れていたのだ。
私にとって最後となる2015-16シーズン、私は一つのこと学んだ。 かつて、アレックス・ファーガソンは、マンチェスターユナイテッドの監督を勇退する際、数カ月前に発表した。クラブにおける彼の位置づけや影響力を考慮して「良かれ」と思っての行動だった。しかし彼はのちに「キャリアの中で犯したミスの一つ」として語っている。 私も同じ轍を踏んだ。「良かれ」と思って早めに退任を表明したのだが、チームは予想外に失速して4位で終えた。
人は「次のこと(監督)を考える」と知らず知らずのうちに人は気が緩むのだろう。
私は、監督は学び続けなければならないと確信した。そして私は学んだ。
プレミアリーグでの監督経験は実に忘れ難いものだ。未経験の監督にはぜひともお勧めしたい。 個人的には、プレミアリーグはすべての面において優れたリーグだと思う。疑いの余地はない。
確かに、スペイン・リーグにはレアル・マドリードやビジャレアルのようなチームが存在し、ワールドクラスの選手もプレーしている。技術的にはスペインが優れていると常々言い続けてきた。
しかしながら、リーグに関わる環境、プレーの質、サポーターからのリスペクト、選手へのリスペクト、グラウンドの美しさ、感情の応酬、パーティーのような雰囲気、すべての試合で感じられるファンからの支援――。監督が楽しまないではいられない要素が詰まっている、それがプレミアリーグなのだ。
監督であれば、指揮するチャンスを逃してはいけないリーグだ。
南米で約15年、ヨーロッパでも12年、さらに中国(河北華夏幸福)でも指揮した。中国では将来を見据えた新プロジェクトに関わらせてもらったことに感謝している。 すべての国々に素晴らしい面があり、新しい発見が毎日ある。
あと数年は監督を続けると思うが、次の着任地も楽しみだ。 学びを止めず、謙虚な気持ちを持ち続けるべきだ。
「人生はいつも見習い期間」なのだから。
翻訳:澤邉くるみ