ビセンテ・デル・ボスケ
スペイン代表監督, 2008-2016
しかし、私の考えはまったく逆でした。
スペイン代表には選手同士の良好な関係と明確なプレー・スタイルがあり、スペイン・サッカー界には素晴らしい育成システムが出来あがっていました。EURO2008で優勝したばかりで、良いダイナミズムの中にいるとも考えました。
バトンを受け取ることに対して、過度なプレッシャーを感じることはありませんでした。ただ、スペイン・サッカーが覇権を握り続けるための鍵となるタイミングだとは感じていました。
EURO2008が開催される少し前に、前任者である故ルイス・アラゴネス(1938年7月28日 – 2014年2月1日) からバトンを引き継ぎ、代表の監督になる可能性を聞かされました。そのため、EUROでの代表の試合は1人静かに見ました。
結果、スペインのフットボールに対してのビジョンとプラスな感覚を持つことができました。大会期間中に自分なりのプランを立て、今の代表に何が必要か、私の代表には何が必要になるかを考えたのです。
EUROの決勝(1-0ドイツ)でフェルナンド・トーレスのゴールによって生み出された興奮、並外れた成功とお祭り騒ぎは今でも思い出します。
私のサッカーに対するアイデアを実行するのに「このチームより良い場所はない」ように思いました。そして、「今がその時だ」とも感じました。
「我々はルイスの作り上げたチームから何かを取り除くことは一切しませんでした。ただプラス・アルファを与えようとトライしました」
ルイスと私は同世代ではなく、1950年生まれの私よりも年上でした。年の差はあっても、我々の間には常にリスペクトがありました。
だから、彼に対するリスペクトを既存の選手たちに示すことは重要なことであると考えました。つまり、我々はルイスの作り上げたチームから何かを取り除くことはしない、ただプラス・アルファを与えたいだけなんだと選手たちに理解してもらうのです。
チームは良い習慣を引き継いでいましたから、過去の功績を消し去ることなく、築き上げてきたスタイルを維持するようにアプローチしました。その上で、チームのポテンシャルをさらに引き上げ、新しいグループを築き上げて前進できるように努めたのです。
チームに「新しい血」を入れることもしました。変化は必要なものです。まったく変化させずに前進するのは容易ではありません。選手の入れ替えによってジェラール・ピケ、セルヒオ・ブスケッツ、フアン・マタがチームに合流し、チームの質はより高まりました。
苦しい決断だったのは、EURO2008の優勝に貢献した数名の選手たちに別れを告げることでした。特に、マルコス・セナ(下記写真)を外すのは苦渋の決断でした。
セナは2008年、2009年も代表としてプレーしていましたが、彼をワールドカップには連れて行かないことにしたました。なぜなら、セルヒオ・ブスケッツが台頭し、スペインのサッカーにもたらせるものを考えた時、セナよりもブスケッツのほうが優れていたからです。
それでも、マルコス・セナが素晴らしい才能の持ち主であり、EURO2008のベスト・プレーヤーであったことは間違いありません。
ワールドカップを目前にして、恐れがなかったと言えば嘘になります。我々は優勝候補と目されていましたからです。
スペイン代表は素晴らしい時期を過ごしていましたが、優勝候補と目されることが勘違いにつながる恐れがありました。他の強国と比べてもレベルの差はほんのわずかでしたし、成功と失敗の境界線は非常に不安定なものです。
「結局、失敗で終わる」。よくあるパターンです。
そして、我々は開幕戦を落としました。
「『残り6試合をすべて勝てばチャンピオンになれる』。選手にはそう伝えました。たった6試合。そんなに難しいことだとは思いませんでした」
スイスとの開幕戦を1-0で敗れた数時間後、数名の選手たちが私に言いました。
「監督、我々は素晴らしいプレーをしたと思う」
その通りでした。試合を見直しても、悪いプレーではありませんでした。ですから、このサッカーを続けない理由なんてあるか? 白旗をあげてナーバスになることなんてない。私はそう考えました。
監督のスピーチには一貫性がなければいけません。解決方法は我々が過去に成し遂げてきたことの中にありました。選手には残りの6試合をすべて勝てばチャンピオンだと伝えました。そんなに難しい挑戦だとは思いませんでした。たった6試合です。
スイス戦の結果に対する批判の矛先はブスケッツに向けられました。しかし、我々は彼を支持し、信頼を示しました。
彼とシャビ・アロンソはチームの屋台骨。攻守の要でした。彼らから攻撃が始まり、中盤を構築し、時には前線に飛び出していく。彼らの周りでチームはとてもよく機能していました。
アンドレス・イニエスタ、シャビ・エルナンデス、ダビト・ビジャ、フェルナンド・トーレスも重要な選手です。しかし、チームに安定感をもたらすブスケッツとシャビ・アロンソは非常に重要な存在でした。
選手たちは強い精神を宿し、しかも楽観的でした。「世界チャンピオンになれる」と強く信じていたのです。
我々は大会を通じてサッカーを変えることなく、同じようにプレーしました。対策を施したのは準決勝で対戦したドイツのサイドバック、フィリップ・ラームに対してだけです。
彼は攻撃で大きな違いを生み出せる選手でした。
ただし、ラームにマンマークをつけて彼の攻撃力をコントロールしようするのではなく、彼の前に攻撃的な選手を配置することで前に出ていけないようにする作戦をとりました。その役割を担ったのがペドロです。初スタメンのペドロはフレッシュなプレーで自分の任務を全うし、チームも1-0の勝利を手にできました。
決勝進出を決め、選手たちは歴史的な瞬間を迎えていました。その瞬間に対して真剣に向き合いながらも、あまりにも感傷的にならないように努めました。今までは、最高のサッカー選手になりたいと思いながらサッカーをしている選手にすぎませんでしたが、「そうなれるチャンス」が目の前に訪れていたのです。今まで、スペインの選手が誰も享受できなかった瞬間が。
「我々は兵士ではないということを選手達に強調しました。ワールドカップの決勝です。人生のチャンスを目の前にし、自らの選んだ職業を目一杯楽しむ必要がありました」
決勝の当日、私はいつものように起床し、試合の準備をしました。選手たちのモチベーションにアプローチする必要はありませんでした。なんといってもワールドカップの決勝ですから。
むしろ、我々は兵士ではないということを強調しました。フットボール選手であり、自らの選んだ職業を目一杯楽しむ必要があったのです。その舞台は、たくさんのスペインの子供たちが立ちたいと夢見ている場所です。
我々は若いチームではなりましたが、全選手が人間的に成熟していました。例えば、セスク・ファブレガスは若くしてアーセナルのキャプテンを務めていました。皆素晴らしいキャリアを歩んでおり、それが我々に自信を与えてくれました。
オランダは経験豊富なベテラン選手を数多く擁していました。彼らにとっては今回が3度目の決勝であり、過去2度(1970年と1974年)は勝利することができていませんでした。小国であることを考えれば、世界のサッカー界に多大な影響力を与えているオランダは素晴らしいの一言に尽きます。
オランダは素晴らしい技術とスタイルを有しています。
私は審判について話す人間ではありませんし、自分たちで変えられないものに対する解決策を求めたりしません。
まず、良いプレーに対して集中すべきです。そして、我々に対して脅威となるアリエン・ロッベンのスピードとウェズレイ・スナイデルの2列目からのプレーに注意するのです。つまり、審判の仕事ではなく、オランダの脅威に対しての意識を高めさせました。
試合が延長戦に突入した時、我々が勝利する予感がしました。
右サイドのヘスス・ナバス(60分に出場)のスピードは我々の切り札でした。ヘスス・ナバスに対するジオバンニ・ファンブロンクホルストは偉大なプレーヤーであり、決勝は彼にとって最後の代表マッチでした。しかし、延長戦に入った頃、疲れの見え始めた彼のサイドからカウンター攻撃ができるようになりました。右サイドからの攻撃が良いアクセントになっていったのです。
イニエスタが得点した瞬間(116分)、夢まであと一歩。その時、クロアチア代表監督だったスラベン・ビリッチの言葉が脳裏をよぎったのです。
EURO2008に出場した全監督によるカンファンレンスの中で、ビリッチは準々決勝のクロアチア対トルコに関する話をしてくれました。「延長終了間際にクロアチアが得点した時、喜びにすべてのエネルギーを費やしてしまった。本来であれば残り時間で相手に何も起こさせないための準備をするべきであったにもかかわらず……」と。
クロアチアの得点(119分)の直後、トルコはシンプルなクロスをゴールエリア付近に入れました。そこからこぼれ球を決められ(120+2分)、最終的にクロアチアは敗退したのです。
このビリッチのエピソードは私にとって非常に重要なものとなりました。残り時間は残り4分。相手は10人(109分にヨン・ハイティンハが退場)。それでも我々は試合終了の瞬間まで注意深く行動し、喜びを抑え込まなければいけませんでした。
相手に何も起こさせないために--。
そして、その時が来ました。
あの夜、よく眠れたのか覚えていません。
優勝直後は、スペインがワールドカップを優勝したことによる影響の大きさに気づいていませんでしたが、徐々に、母国にとってファンタスティックなことを成し遂げたと感じ始めたのです。
すべての人と喜びを分かち合いました。もちろん、節度を持って。勝利した時は謙虚に、そして負けた時は過度に悲劇的にならないことが大事なのです。
数年がたった今もあの時のことを話す人とよく会います。しかし、私は過去を振り返らないように努めています。
過去は過去。終わったことです。
我々は常に未来のために働く必要があるのです。
翻訳:石川桂